ケアされて分かること

実家から帰ってきて、書こうと思っていたが、何だかんだと日ばかり経ってしまった。

 

福祉、病院、入院、介護保険、年金、高額医療費制度…日頃聞いていたが、自分も関わり、家族がお世話になることとなった。

社会には、社会の底辺のような人でも、惨めな有様にならないように沢山のサービスがあることを知った。貧しくてもこんなに沢山の社会保障制度によって助けていただけるのだと、しみじみと実感し、感謝した。

 

私の家は、家庭に第三者が入る機会がなかった。

親族知人で集まることもなくなり、公共性を失った家庭は、ますます病んでいった。

 

幸いなるかな…?父が病気をし入院することとなった。

 

そこで再び、閉ざされた家庭に社会との繋がりが生まれた。

声をかけてくれる看護師がいる、お医者さんが回診に来る。こうした方がいい、という助言も入る。

明るくて、暖かくて、清潔だ。秩序とモラルがある。

 

家庭の歪みに、社会の光が届くこととなったのだ。

 

家はとても末期がん患者をケアできる状況ではないので、転院を勧めていたが、なかなか意見が一致しない。

私が説明しても埒が明かないので、地域医療連携室というところへ母を連れて相談に行く。そこで、第三者、地域連携室のスタッフを含めて相談する。

 

公にするにもお恥ずかしい状態を説明し、自分も家族の一員として、福祉の人の助言に耳を傾ける。

自分の相談の内容、考え方を第三者の視点から見てもらう。

 

話し合いの結果、やはり家庭では難しいだろうということになり、転院の手続きをとることになった。

しかし、翌朝には母のヒステリーの餌食となり、あらゆる言葉に耐えかね、早々病院に逃げ込む。

 

「あんたがしてることは迷惑よ、さっさと帰りなさい、出て行きなさいよ!」といわれるが、事を投げ出して帰るわけには、いかないのだ。

たとえどんな状況であろうと、休みは限られており、弟の了解も取らねばならない。
でも、流石に堪えて病院のベンチでしょげかえって、とにかく弟に連絡をしようとしていたら、声をかけてくれる人がいた。
昨日の地域連携室のスタッフの人だった。
朝日に光る白衣が、天使に見えた。本当に。
「おはようございます、どうしていらっしゃいますか」と聞いてくれた。
昨日からの顛末と、朝の出来事を話すと、
「お母様もケアが必要です。もしかしたら、寂しいのかもしれません。温かい言葉をかけてあげてみて下さい。」
と言われた。
朝準備もそこそこに飛び出てきたし、疲労で私はひどい顔をしていたと思う。
そんな中、社会の人々の助けは傷んだ精神的状態に、光を与えてくれた。
家族は距離が近すぎて、こちらも理性を失いそうになるが、誰かの助言によって方向性を取り戻すことが出来る。
また、病院内で一人の看護師さんが
「なにかお困りのことはありませんか?」と声をかけてくれた。
看護師さんというと、尋ねなくても仕事にあふれているだろうに、こちらの希望まで聞いてくれた。
顧みて、私はこんなことを尋ねることが出来ない。
恐いからだ。「お困りのこと」なんてありすぎて、何を言われるかわからない。
しかし、尋ねられてみて、この配慮がいかに有難いかが分かった。
自分自身がケアされる側になって、ケアする人たちの姿を改めて見ることが出来た。
ケアされる側から見ると、自分は一体どうしているのだろう。
「何か、お困りのことはありませんか」と聞けるようになりたい。
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