「厳しい」んじゃなくて、「性格が悪い」。
時々「あの先生は厳しいから。」という言葉を聞く。
礼拝を守ることや信仰、規則について厳格である、などの意味ですが、実際それらの先生に触れてみて、私は「厳しい」とは思わない。
「厳しい」んじゃなくて、「性格が悪い」の間違いだろうと思っている(゚∀゚)アーハハハハ!!!
オブラートに包んでいらっしゃるのですね、皆様。
「厳しさ」というのは、「優しさ」もしくは「慈しみ」とセットだと思っている。
本当の「厳しさ」を発揮しなければならないところは、ふんだんにある。
自分の体裁やメリットを犠牲にしなければならない時、嫌われること覚悟でものをいう時、もっともっと、数年、数十年単位で守り通す秘密がある時、墓場まで持ってく覚悟の出来事など、厳しさは…誰かを守るためにあるものではないだろうか。
心から尊敬できる「厳しい」人というのは、何というか、筋が通っている人である。
それに、慕われる人である。
なんとなく、そのような人格者、霊性の人を、人は感覚で嗅ぎ分けているのではないだろうか。