教会・教団を離れる私はクリスチャンなのか

立場に守られて、信仰者であると思い込んでいる。

 

神学校を卒業したから、

牧師だから、

 

…じゃあ、そういった肩書を外したら何者になるのか。

 

文句をいうのは、不満を感じるのは、

期待しているから、であって、

急速に教会に対して、教団に対して、人に対して、情熱を失っている自分に罪責感を感じる。

 

 

立場に守られて、自分は真っ当な信仰を持っている、と勝手に思い込んでいる。

 

むしろ…何も無くなって、改めて考える。

自分は何なのだろう。

 

群れから離れ、教派から離れ、立場を離れ、

私の信仰の外殻は、一体どうなっているのだろう。

私が、私たる信仰であること…。信仰のアイデンティティが。

 

 

これから、正に海のものとも山のものともつかないあらゆる価値観や概念に触れて、

己とそうでないものに触れて、こんな軟弱質な自分が大丈夫なのかどうか。

 

こんなフラフラとした心情を、いつもお世話になっている先生に話してみたら、

「神学校を卒業したということ、牧師として生きるということは、これからも変わらない。

立場がどう変化したとしても、教団からどんな立場に置かれようと。

自分は神のきよめの道を生きていると思っている。

だから、あなたもどこに行こうと、神の道を歩んで行くように。神さまに召されて歩いていることには、変わらないのだから。」

と言われた。

 

そう、どう考えようと、歩いてきた10年弱で身に付けた様々のこと、そして神さまの導きを抜きにして未来が作られるわけではないのだ。

 

これまでと、これから。

何が作られていくのか、分からないけれど、

もっと強くなれる、と信じている。

 

少しの不安定、先の見えない空白期間、霧の中。

 

でも、この中を歩くのを恐れない。

リスクを恐れない。不安定を恐れない。

 

自分の試行錯誤が、もがいた軌跡が、きっと多くの人の役に立つ日がやってくる。

そう信じて、神の道を歩いて行く。