休みは無いと言われた

案の定ね、休みはないということで。

信徒さんが休みなく教会に全てを捧げているのに、休みは取れないということで。

 

でも、なんとか自主的に休みますということで火曜日を確保したけど、どうなるやら。

 

信徒さんも休みたいんじゃないかなぁ。

 

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自分がここにいる意味ってなんだろうか。

考え方も生き方もぜんぜん違う。

 

強固に伝統を守りたいと思う人達の中に、どうして自分がいる意味があるんだろう。

守りたいなら、守ればいいのだ。

 

私は別に摩擦を起こしたいわけではなく、わけても既に失敗した経験があるので、

出来ないことは本当に出来ないのだ。

カニに前歩きをしろと言っているようなものだ。

 

言わないで潰れるか、言って非難されるか、の二択の中で、生きている。

 

そうと決めた日から、ずっとこの戦い。

こんなことに、何の意味があるのだろうと思いながら。

 

魂の救い以上に、こんな、内々の戦いが多くて、一体何のために戦い続けているのか分からない。

 

自分でなくってもいいじゃないかと思いながら生きている。

どうせ生きるなら、楽に生きたいと思いながら、全く違う結果が待っている。

 

言わないで済むなら、議論しないで済むなら、がっかりさせないで済むなら・・・。

 

困った役目が待っている。

いったい何のためにと思いながら、

何かが見えたと思ったら、また違う役目に移されていく。