副牧師の給料は永久に1ヶ月8万円だそうです(税金補助なし、主任は5倍以上)。

夕焼けの海。冷たい風に吹かれながら堤防にぼんやり座ります。
夕焼けの海。冷たい風に吹かれながら堤防にぼんやり座ります。

人件費が安いというのは、どこの教会に行ってもあまり変わらないことで・・・。

牧師が遠慮して、又は、はしたないことと思い、人件費の請求をしないことがある。

(逆にしすぎる人もいるようだが)

 

理念理由はどうあれ、低すぎる人件費で生活していると、良くない影響があると考えている。

一つは、自分を安く扱うようになるということだ。

 

不当な扱いを受けても仕方がない自分、として、自分をないがしろにしていく。

自信を失う。卑屈になる。モチベーションが落ちる。

 

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自分は神に愛され、大切にされた宝だということを忘れない。

自分には沢山の、神さまからのコストが掛けられている。

人々の愛を受けて、今の自分がある。

 

この自分を、蔑ろに扱うというのは、神の愛を蔑ろに扱うということである。

自分を大切にしないで、いじめられるがままに任せ、だめにするというのは、

人々の愛を踏みにじることである。

 

頑張ったって、潰れることはある。

でも、防ぐことが出来るなら、必死に自分自身を守るべきである。

自分が守ってあげなければ、誰が自分を守るというのだろうか。

 

私は、この地上において自分という神の財産を任されているのである。

だから、守ってあげなければいけない。

 

自分を安売りしない。

私を愛してくれた神さまのため、そして愛する人々のため。

 

自分の価値を損なわんとするような価値観に飲まれてはいけない。

 

 

自分を愛することが出来ない人は、人を愛することも出来ない、と言う。

自分を犠牲にする人間は、他者も犠牲にする。

 

自分の尊厳が見えなければ、他者の尊厳にも気づかない。

平気で人の尊厳を踏みにじる。

 

だから、自分を犠牲にしてはいけない。

宗教者が他者の尊厳を踏みにじったり、教会がなんでもやってもらって当たり前、奉仕が当たり前だと考えるのは、他人の尊厳が見えなくなっているからである。

 

この危険性を宗教者は把握しなければならないのに、服従とか、信仰とか言うから、

社会的通念以下のモラルがまかり通っていく。

 

自分を安売りしない。

 

意味の世界の戦いは続く。