なぜ宗教組織はカルト化しやすいのか

宗教組織ってどうしてカルト化しやすいんでしょうね。

カルトについての研究は色々ありますが。

 

評価されることが無いというのが、ひとつの要因ではないかと思います。

評価を下す基準も、第三者機関もない。

 

そもそも、何を以って健全度を測るのか、測れるのか。

 

私は測ることが出来ると思う。

基準が確立していないだけだ。

 

アメリカでは、コンサルタント会社が組織としての教会を評価するサービスがあるそうだ。

 

人が集まり、何らかの組織が発生した時点で、その組織が健全に保たれるように気をつけなければならない。

 

こんな点が、健全度を測る基準になるのではないか。

↓ ↓ ↓

*会計の透明性(明細が報告されているか、信徒や専門家の監査が入っているか)

*牧師の在任期間(長すぎる場合は健全さが低下する可能性大)

*牧師・会員の一族構成の割合(外部の人間が少ない場合、一部の有力者家族が強力な発言権を持っている可能性が高い。)

*役員の多様性(反対意見をいう人間が残っているか。イエスマンばかりが集められていないか。)

*説教の内容(お金や、労働力提供のようなことばかり強調していないか。信徒からの評価。)

*人間性(評判はどうか、犯罪に結びつきかねない行動はないか。)

数値化は難しいけど、とりあえず思いつく限り。

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きよめ、というが、組織にもきよめが必要であると思う。

組織として神の国の姿を反映しているか、反映しようとしているかが、組織の健康につながる。

 

例えば、長年の課題となっている教会規模による牧師の待遇格差。

 

どこの教会に配属されるかで、生活レベルに大きな差が出る。

十分な人件費を払えない教会に単身の先生が送られるという問題もある。

 

ある程度はやむをえないとしても、世帯の規模で収入に格差が生まれる。

低収入の仕事を女性単身の先生方に負わせて来ていないだろうか。

放置しすぎると、組織としての在り方が問われないだろうか。

組織として、神の性質を体現する努力をしているだろうか。

 

都市部に「使える」先生が集められ、地方の教会が困った先生指導のもと息絶え絶えになっている問題も散見する。

 

こういった問題を放置しないで、何とか是正しようとする努力が組織の健康につながる。

 

ある団体では、労働者の生活レベルを保証するために、保証できる範囲の人を雇っている。

無闇矢鱈に人を雇って、劣悪な条件で働かせるようなことはしない。

 

また、都市部と地方で格差が出ないように、明確な賃金基準があり、どこで働いても賃金に差がでないようにしている。

 

これは、雇用者の意向一つで工夫できる問題である。

無論、マネジメントの知識が必要だ。

 

マネジメントの視点を持たない運営は、問題に振り回され、対応を後手後手に回す。

どうして良いのかがわからないのだ。

戦略的に運営を考えるという視点がかけているため、解決出来る方法どころか可能性すら知らず、問題を放置し、ついには腐敗か悲劇が生まれる。

 

小さな問題が、傷となり、破れ口が広がり、サタンが卵を産み付ける。

やがて放置された問題が、深刻な腐敗となり、組織全体に毒を回す。

 

例えば教会で起こるセクシャルハラスメントなど、聖職者の問題行動に早く気付き、対処すれば、組織を揺るがす大問題になる前に防ぐことが出来るのだ。

人事評価をもっときちんと把握できるような方法を考えれば。

 

牧師の貧困に早く対処すれば、悲劇を産まなくて済む。

 

組織が健康であり続ける事ができるか、それはどれだけその組織が自浄作用を持っているかにかかっている。

 

早い段階で修正と解決を重ねていく。

その姿勢があるかないか。

 

深刻な問題になる前に、解決が図れるか。

組織に愛が生きるように運営出来るかどうか。

問題に目をつぶり続け、組織体として神の怒りを買うか。

 

自浄能力がない組織は、大きくなることは出来ない。

何らかの腐敗を悪化させて、トドメを刺されるだけだろう。

 

または、神の怒りを買って衰退するだけであろう。