逆境の時は、下に根を伸ばす
「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。」詩篇1篇
昨日家庭集会。
詩篇1篇が開かれる。こんな内容だった。
「聖書は幸いな人の例えとして、
「~がうまくいっている人」とか「~を持っている人」ということは言っていない。
多分我々だったら、「幸いな人」を説明させると、家庭生活が順調である人とか、健康とか事業が成功している人とか言うだろう。
「幸いな人生」とは、根がある人生。
悪者には根がない。だから「もみがら」。
幸いな人は、「時」を知っている。
木枯らしの時があり、雪に埋もれる時がある。
春が来て花が咲き、実が成る時がある。
伝道者の書の、あの「時」。
私達は案外「時」を知らないで生きている。
いつも順調でないと、不安になるし、働き過ぎる。
「時」を知って生きるというのは、厳しい季節もあり、花咲く時もあるということを知って、生きること。
どんな「時」の中でも、信仰の根を伸ばしていく生き方。
木は上に伸びることが出来ない時は、下に根を伸ばす。
実が成る時には、エネルギーが全て上に行ってしまう。
逆境の時には、下に根を伸ばせばいい。
時が来て、実を結ぶことが出来るように。」
逆境の時には人が羨ましい。
自分が惨めに見える。
悔しいし、腹立たしい。
歩く道のりが遠すぎて、涙がにじむ。
木枯らしが吹くときには、根を伸ばそう。
人にはそれぞれ、時があることを信じて、嵐の日を、雪の日を、耐え忍ぼう。
幸いな人とは、時を知っている人だそうだから。
やがて必ず実が成る時が来ることを、知っている人だそうだから。
そうしたら、我々は、やがての時を信じて、焦らないで生きることが出来る。
落ち着いて、今を生きていこう。