カルト教会は自分たちだけが正しいと言う

他の教会に行ってはいけません、と教育してこなかっただろうか。

 

自分たち以外の教会は、異端である、と。

 

狭い井戸の中で純粋培養されたものだけが、真っ当な信仰を持つものだ、と認められ、

外部との関わりを持つことは、信仰的な堕落を意味すると。

 

神学校では、教団の発行するものだけを学ぶように教えられた。

基本が出来ていないと、間違ったものを学んでしまうからだそうだ。

 

そうやって育てられた牧師は、同じように教会の信徒さんに、認められたものだけを読むように教育する。

情報を遮断するので、カルトがやる手法と似ている。

 

基礎が叩き込まれたら、いざ他の書物や、教会の考え方を学ぶのかというと、そうではない。

古びた本の、同じ情報と捉え方を延々と続けていく。

 

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私は、外に出さない教会ではなく、外に出せる教会を作りたい。

そうして、色々な所を見た方々に、「選んで頂ける」教会を作りたいと、願っている。

 

どんな教会、どんな教派、どんな国、環境に行っても通用するクリスチャンであって欲しい。

どんなところでも、輝くクリスチャンであって欲しい。

トップを走る品質を持っているクリスチャンであって欲しい。

 

愛において、優しさにおいて、世界基準のクリスチャンであって欲しい。

閉じ込めて、支配して、拘束する教会ではなく、優秀で力があり、どこに出しても恥ずかしくない人々を生み出せる教会でありたいのである。

 

選ばせない教会ではなく、じっくり考え、よく比較してもらい、その上で選んで頂ける教会を。

自分たちは特別だ、などといいあぐらをかいていれば、人はその独善性を見抜き、去っていく。

 

現在は情報収集の手段も、交通手段も発達している。

もはや、人々を隔離するようなやり方は通用しない。

 

努力を惜しまず、欠点を改善し、質の高いサービスを提供する。

比較対照の中で、悠然と輝く余裕と実力を持っている、そんな教会であれたらいいなと願っている。