教会にも、信頼していい人間と、してはいけない人間がいる
さて、日中はまだ真夏のようですが、そこかしこに秋の気配を感じるこの頃です。
昨晩は、コオロギの鳴き声が聞こえて驚きました。
個人的なことですが、大変な夏でした。
春は霞のようでしたが、夏も一体どこにあったのか。
冬が本格的に深まるまでは、こんな感じだろう、と思いながらも着々と変わりゆく季節の中に安堵と不安を覚えます。
さて、3冊の本が届きました。
- ハーヴィー ホーンスタイン 『問題上司―「困った上司」の解決法 』 2000,プレジデント社。
- マリー=フランス イルゴイエンヌ 『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない』1999、紀伊國屋書店。
- マリー=フランス イルゴイエンヌ 『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』2003、紀伊國屋書店。
これで一つ説教作れるわ。今やったらエライことなりますけど(笑)。
考えてみれば、サウルなんかも問題上司だね。
ざっと目を通しただけですが、社会で働く人たちがこんな上司に悩まされていることは、珍しいことではないのだな、と思いました。
共通して言えることは、問題行動の原因として、モラハラをしている人たちの心の底には、深い劣等感と、人の評価を得たいという願望があるということです。
それが、非常に歪んだ形で、他者への攻撃になるようです。
世の中には、本当に色々な人達がいるということが勉強になっています。
追々、ブックレビューしたいと思っています。
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色々なことがありまして、果たしてそれが良いことなのか分かりませんが、
キリスト教会、教団の中で学んだことがあります。
それは、世の中には、信頼していい人間と、してはいけない人間がいるということです。
かつては、全てを信頼し、期待を持っていました。
なんとかなる世界が広がっていると思っていました。
でも、これまでの経験の中で学んだことは、
どうにかなる世界、よりも、どうにもならない世界、を受け入れることでした。
失望するとか、心を閉ざす、とかは別の意味で。
そういう中にも、本当に素晴らしい人たちとの出会いがあったことが、
キリスト教の世界は良いものだという、根拠になっています。
大人の人達は、自分より年上の人達は、自分よりも分別が合って、理性的で、合理的で、人格において優れている、なぁんて、暗黙の思い込みの危険さを思い知らされたこれまででした。
自分もそれらの立場になったら、同じなのかもしれないですが。
また、人への対応に関して学んだことは、精神疾患、人格異常?のタイプは、それ相応の対応と注意が必要だということです。
即ち、無邪気に可能性を期待するべきではない、相応の対応が必要。
知的なハンディ、精神の病は、それぞれに奮闘している姿が見えます。
色んな事はありますが、このような方々とは、一緒にいるという感じがします。
個人的に、それよりももっと弊害が多く悩まされるのは、一見まとものようで、とかくトラブル発生装置になる性格異常?のタイプです。
ひどい場合は、悪意や邪悪ささえ感じるような場合もあります。しかも、本人自身から。
異常ではなく、それも個性なのかもしれませんが。
万事ひっくるめて、とにかく周りを傷つけて歩く、というのが特徴でしょうか。
それでもって、自らの行いが自分自身にとって益とならないこと、その及ぼす効果に思いが至らない、近視眼的考えが特徴のように思います。
でもって、改善の可能性があまりないという…本人は自分が正しいと確信もってるから。
もう、こういうタイプは、今のところ自分としては打つ手なしです。
どんなに悪い結果が予想されても、機関車のように膨大なエネルギーを持っているこういうタイプの前にわざわざ立ちはだかろうとは思いません。
極力関わらないように、距離を置くことくらいしか…。
はて、まとまらなくなりましたが、全て成長の機会と考えて、学んでみます。