K君 -ライオンさんのこと 7
翌朝。
部屋を後にして、自分は近くの手洗いで身支度を済ませた。
祭壇の前を通りがかり、中に入った。
棺の前にでて、「ライオンさん、お早う。」と言った。
一緒に居た時は、ライオンさんが起きてくると毎朝
「お早うございます。今日も1日よろしくお願いします。」と3人もろとも挨拶するのが常だった。
夜眠るときには、
「お休みなさい。今日も1日有難うございました。」と挨拶するのが日課。
でも、今日は返事は返ってこない。
「ライオンさん、起きられないね。」
ため息が出た。
「(でも、いいか。今頃天国で安心して眠っているんだから。ねぇ、ライオンさん。)」
お祈りしようとしていたら、Tさんがやってきた。
私の側にやってくると、ライオンさんの写真を見て、泣き崩れてしまった。
「お父さん、ごめんなさい。お父さん、私が追い詰めてしまったのよ。
つらい思いをさせて、ごめんね、お父さん。」
「そんな風に考えたらだめよ。私だって、自分のせいかなって思うよ。
なんでそんな思うの?」
写真と遺体を前にして、2人で座り込んで、なんでこんな日が来ることになるなんて、
こんな最後だなんて、と思った。
「前の日に私がお見舞いに行ったのね。それが疲れたみたいで、帰ってきたら、俺、喫茶店に行ってくる、って言って、その次の日に飛び降りたのよ。
私が慣れない場所に連れて行って、疲れさせたから。」
「でも、自分で行きたいって、言ったとやろ?」
「うん」
「一緒にいけて良かったさ。
何か、徴候があったって言ってたね。直前に死にたい、とか言ってたの?」
「ううん、でも、様子がおかしかったの。
「お母さんと、結婚できて、良かったよ」って言うもんだから、どうしたんだろうって思ってたの。」
「どれくらい前から?」
「そんなに、4,5日位前からよ。それから何日かしたら、また「お母さんと結婚して、良かったよ」って言うの。」
「じゃぁ、感謝してたんだよ。自分のせいにしないで、ってことだよ。」
「前にもね、飛び降りようとしたの。でもその時は、私が見つけてすぐに止めに行ったの。
飛び降りれなかったのはね、手すりを越えられなかったからなの。」
「そうだったの…だったら余計に。遺書見たでしょ?」
昨日、警察署に行くタクシーの中で遺書を見せてもらった。
飛び降りたその日、ベットの脇に置いてあったのだという。
白い紙に鉛筆書きで、自分が飛び降りた後の物を片付けて欲しいということや、遺体は警察が来るまで触らないようにということ、そして息子さん方への言葉が、一つ一つ箇条書きにしてあった。
字の間違いもなく、簡潔なものだった。
それを見るに、飛び降りたのは衝動的なものではなく、計画していたものであったことが伺えた。
今回は見つかりにくい所から、しかも椅子持参だった。
「遺書見ると、絶対に計画していたよ。
何かがきっかけってことはないよ。
鬱って、そういう病気なんだって。Mさんが言ってた。
私も知ってたけど、もう十何年も前の話だし、薬も飲んでるから大丈夫だと思ってた。
でも、そうじゃなかった。私も認識が甘かった。
ブレーキが壊れてしまったんだよ。仕方がない。自分を責めちゃいかんよ。」
足音がした。
お孫さんのK君だった。
遺影の前のコーヒーを代えに来ていた。
昨晩も、おじいちゃんにと温かいコーヒーを供えていた。
***********
私がロビーで前夜式の準備をしていたら、近くにあったサーバーに飲み物を入れに来た。
何種類かあるコーヒーで迷っていたので、聞くと
「おじいちゃんに持っていく」と言っていた。
そんな地味な優しさが、ライオンさんそっくりだった。
「モカだよ。おじいちゃん、いつもモカだった。」
「分かりました。」
そう言うとKくんはにっこり笑ってモカを持っていった。
笑顔も、素朴さもおじいちゃんそっくりだった。
***********
Kくんはコーヒーを帰ると、
「朝ごはんをば」と言った。
「ご飯だって、Tさん」
そう言って、一緒に立ち上がった。