はなむけ -ライオンさんのこと 14
電話は慰めになるどころか、傷口に塩だった。
心も身体も疲労困憊で、書こうとしたブログも書けないまま横になった。
長崎へ連絡するのが精一杯で、本当はお礼を言わなければならないところもあるのに、力が出なかった。
昨晩の電話のやり取りを思い出した。
不思議と相手を責める心にはならなかった。
そのような言い方をする方だというのも、付き合いで知っていたから。
ただ…昨晩の会話はクリスチャンの間で起こりがちな解釈だった。
それがどれだけ遺族や関係者を苦しめるかということが分かった。
信仰者は自殺しないのか。
そんなことはない。
天国に行くのか行かないのか、我々には分からない。
分かることは、神さまは憐れみ深い方だという事だ。
我々の成り立ちが塵であることを知り…。
教会の中でも、自殺したクリスチャンはいる。
有名な教会の先生の家族だって、この前自殺したとニュースで言っていた。
多くは、その死因を隠す。
まるで、人生の、信仰の敗北であったように。
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私は…隠したくないと思った。
大切な人の一生懸命生きた軌跡を、まるで悪いことのように、思わなければならないのか。
もちろん、嬉しいことではないけれど、
その決断を、尊重して、受け止めてあげたい。
残されたものは辛いけれど、そうして、やっぱり我々は生きていかなければならないじゃないか。
雨が降っても、風が吹いても、涙しても、
また前を向いて、歩いていかなければならないじゃないか。
笑ったり、泣いたりして、そうして元気に生きていくことが、故人へのはなむけじゃないか。
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どうしてこうなったのか、私には分からない。
考える事や、意味付けしようという意欲は起こらない。
だから…人の苦しみを解釈してはいけない、とよく言われるのだろう。
苦しみの理由なんて、残酷意外の何ものでもない。
そんなものを受け止める心のエネルギーなんて、どこにもない。
善意のおせっかいを避けるエネルギーも無いのだから。
ただ…この辛さを通して、私が理解できる暗闇が増えたことは確かだった。
クリスチャンという世界で…このことを私が知る意味が何かあることを…。