心ない -ライオンさんのこと 13

路傍案内に始まり、礼拝、チラシ配り、伝道会、墓地の清掃、来週の礼拝の準備。

1日の働きが終わったのは夜8時過ぎだった。

 

連絡が入っていた人があったので、電話をした。

長崎にいる時に何度か連絡が入っていたのだが、出ることが出来なかった。

 

「お疲れ様、どうだった、帰ってきた?」

 

「はい、有難うございます。大変でした、本当に辛かったです。何とか帰って、今日終わることが出来ました。」

 

「本当に大変だったねー。」

 

相手はクリスチャンの方だった、が、思わぬ会話となった。

悪気はないと、思っている。一生懸命慰めようとしてくれたのだということも理解したいのだが…。

 

「信仰持ってたの?」

 

「はい、もう何十年も前に洗礼を受けました。」

 

「えっ、そうなの。私はまた、ここ1,2年の信仰かと思ってた。

教会は行ってたの?」

 

「いや、昔色々あって…でも、毎晩ちゃんとお祈りしてました。

私よりも真面目にお祈りしてました。」

 

「あーじゃあだめだ、信仰が出来てなかったんだよ。

信仰持ってたら、死にたいって思っても、神さまにしがみつくじゃない。

死にたい、って思うことなんて誰にでもあるよ。私にだってある。

神さまにしがみつくか、サタンにしがみつくか、この世はどちらかなのよ。

信仰があったら、踏みとどまるはずだもん。」

 

「そんなことはないです。教会には行ってませんでしたが、

神様を信じて、毎日毎晩祈ってました。

教会に行かなくなったというのは、ご主人はとても几帳面な方で、

教会がそのころとてもいい加減なことをしていたので、行かなくなったんです。

行くと傷つくから。」

 

「でも、クリスチャンは自殺したら天国行けないって、知ってるでしょ。」

 

「…!教理ではそういうことを言うところもあるかも知れませんが、私はそう思っていません。

神さまは人間の思いを越える方です。ご自身で良いと思われれば自由に動かれます。

その人の生き方を見て、判断してくださると思います。

(それに、自殺したクリスチャン沢山いるから)

誰が天国に行くか、行かないかは神さまが決めることであって、人間には分からないことだと…

思っています。」

 

ライオンさんはとても几帳面で真面目な人だった。

真摯さにおいては、とても常人及ばずで、いい加減な信仰なんて、持つことが出来るわけがないタイプの人である。

出来てない心の人が、どうして私を引き取り、育てて、その後も沢山の支援で支え続けてくれるだろうか。

毎食、毎朝毎晩、毎日お祈りするだろうか。

ライオンさんのお祈りは、何だかんだと細かいことは入らなかった。

必要なことを、毎回几帳面に祈っていた。

その真面目さの後ろに、ライオンさんなりの神さまへの愛と誠意があることを、近くにいるから知っていた。

 

「そう…。まぁ、仕方がないね、サタンが入ったんだよ。

心をしっかり守っていないと、サタンはすっと、心の闇に入るからね。」

 

私の大事な人をサタン扱いしないでくれ!と思った。

 

「鬱病でしたから…病気があったのだと、思います。

ブレーキが効かなくなる病気だと…私もこんなに大変な病だと思ってませんでした。

葬儀に出た時に経験者がいて…。」

 

「将来のことも大変だね」

 

「はい…今は…考えられないんです。考えたくないんです。」

 

「でも、どっちかに決めたほうがいいよ。あっちもこっちも手を付けることは出来ないんだから。」

 

「どっちも得ようとしているわけでは…。とにかく、考えたくないんです。今は。

段々分からなくなってきました。どうしていいか、分からないんです。」

 

「まぁ、仕方がないね。

うーん、親が自殺するよりまし、って思うしかないじゃん。そう思うしかないって。」

 

ここで限界だった。

 

「無理です…」

 

「え?何が。」

 

「無理です。今は、もうだめです。すみません、もう切ります。」

 

「あぁ、分かった、うん。じゃあ切るね。」

 

ライオンさんは、「親よりまし」ではなかった。

親そのものか、親以上だった。

マシなものなんて、何も無い。