私なら -ライオンさんのこと 17

残された奥さんのTさんを支えなければ、

 

と思いながら、実は倒れているのは自分だったりする。

 

以前道路脇にぺちゃんこのトカゲの干物が落ちていて、

あー自分だなー。

と思ったことがあったが、その時以上にそんな気がする。

 

ある用事で、77歳の方にお会いした。

とてもお元気な方である。

 

これこれで…と最近のことを話していた。

 

京都時代から繋がりある方で、私の希望の件も知っておられる方。

 

「これから、どうしようか分からなくなりました。

私は長崎のご夫妻の助けによって、命を救われました。

ご主人には何も出来ずに、天に帰ってしまわれましたし、

長崎に帰って少しでも何かお手伝いすることが、自分の責務ではないかと、思うんです。

いつまで働いても…私が居なければならない所があるのに、

私しかしてあげられないことがあるのに。

いつまでも夢みたいなこと言って、家族を犠牲にして好きなことして、

それでいいのか分かりません。

これでもし、また私が遠くにいて、同じようなことが起こったら、

私は悔やんでも悔やみきれません。

勉強にも身が入りません。

何をしていいのか、わからなくなりました。」

聖霊の導きを感じない考えであることは分かっているのだけど、

どうしても考えることであった。

 

77歳の方は(熱心な仏教徒の方であるが)、私の話に耳を傾けて言った。

 

「私と、そのご主人の歳は近い。

しょうもない、じじいが言う話と思って聞いて貰えたら嬉しいが、

私なら、将来あなたが努力して成功して、立派になってね、

やっぱり、あぁ、池田さんはやったなぁ、って思えるのが、

何よりの恩返しだと思うのよ。

そりゃ、勿論近くにいて、お世話してもらえるのは嬉しいよ。

でも、我々は死にゆく者。先が短いの。

でも、あなた方はこれからの人。

だったら、大きく羽ばたいて、これからの世の中のために働いてもらいたいな。」

そうかなぁ…と思いながら、

ライオンさんと同年代の方と、思わずして話すことが出来た不思議を思った。

少し心の氷が溶けたような気がした。