システムは万能ではない

専ら日記状態のサイトになっている今日このごろ。
久しぶりに、マネジメントに関係ありそうなことを書こうかと。
一体何のホームページ?状態でしたからね、はい。
近日思いますに、システム、組織は万能ではないと思うのです。
仕組みを整えれば多くの問題が解決できる、と私は考える傾向があります。
しかし、色々な所で働きながら、システムや仕組み、組織は万能薬ではないと思うようになりました。
むしろ、仕組みが問題を解決させない原因となってしまうことすらあります。
某教会は、仕組みや組織が整っていないわけではありません。
むしろ効率的で、精密、とも言えるほどの区分、機能、役割があります。
ここまで、こんな仕組みが整うとは、責任者に卓越した組織運用力があったのだろうと思います。
しかし、仕組みの目的に問題があれば…、どうなるでしょう。
システムは人々の重荷、足かせとなり、甚だしい場合は、人々を管理し、閉じ込めるための鉄条網になります。
具体例を探しまわる必要はありません。
組織の目的のために、人々を管理・監視下に置こうとする独裁国家にマネジメントの悪用の結果を見ることが出来ますし、最近の香港の問題にも、巧妙な行政支配の一端を見ることが出来ます。
大きな単位でも、小さな単位でも、システムを悪用すれば、独裁体制を強固にする、困った手管になるのです。
システムの悪用の仕方に、そんなにバリエーションがあるようには思えません。
大きくまとめると、人々のためにあるのが良いシステムで、特定の個人やグループの支配を存続させるためにあるのが、悪いシステムです。
「組織」としては、同質ですが、目的が全く違います。
天才的な組織運営者に、必ずしもモラルが伴っているとは限らない。
何とか組も、ナチスも、仕組みだけ見れば、卓越した組織です。
でも、人々の幸せに貢献する仕組みではありません。
メガチャーチのアンディースタンリーが言っている通り、
「健全な人間は健全な組織を愛し、
不健全な人間は、不健全な組織を作る」のでしょう。
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実は、あたりまえだと思われている仕組みが、教会の内部を統制するための仕組みであれば、
教会が自然内向きになってしまうことは避けられません。
もし、組織の目的が牧師に従わせるための仕組みであり、教会員を見えない壁の中に囲い込むことだとしたら、閉塞感が漂い、互いに監視し合う教会になるのも自然の流れです。
外に目を向けているか、対応力があるかは、いかなる組織文化を作り出すかにかかっているかもしれません。
「完璧な組織構造などありえない。せいぜいできる事は、問題を起こさない組織を作ることである。組織に重大な欠点があるとき、最も多く現れる症状として…まず最初に見られるのは、マネジメントの階層が増加することである。
組織の原則は、階層の数を少なくし、指揮系統を短くすることである。
階層の増加は、組織内の相互理解と協同歩調を困難にする。」
P・Fドラッカー『マネジメント』p193「悪い組織」の項。
独裁者は、一般の人々から出来るだけ遠くに自分を置くようにする。
即ち、沢山の階層と、ルールと、うんちくを、自分と人々の間に作り出して、自分が特別な存在であることを示とし、批判から身を避ける。
だから、組織を形成する必要が出てくるなら、システム(仕組み)は手段であることを覚えて置かなければならない。
目的を間違えれば、システムは、システム自体が目的になったり、社会に悪影響を増大させる手段になる。
仕組みはシンプルであるほうがいい。無くせるものは無くした方がいい。
そして、構成員が目的を把握している組織がいい。
いつの間にか、律法主義のように、それが目的になったりするから。
余計な報告や手間は、人々を縛り付け、目的を見失わせる。
それに、悪い預言者が悪用する。
トップと一般に区別をつけるようなことはしたくない。
総じて、大切なことは完璧なシステムを作ることではない。
システムが、善良な目的を持っているかどうかが大切である。
などと、思う秋の夕暮れ。
これは面白いと思った記事⇒NTTシステムズラーニング