批判や非難に慣れるには

神学生の時、同期生と話したものだった。

批判・批難されたら…どうしたらいいのだろう、と。

 

立っているだけでも、何だかんだといちゃもんつけられるものだから、波風立てないようにすること自体不可能ではないかと思われるような世界である。

 

多分、「相手を指導してあげなければいけない」という姿勢が、批判眼に満ちた世界を形成しているのではないかと思うのだけども。

どこかで振りきれてしまった私は、こう答えたものだった。

「盾に一本矢が刺さってたら気になるんだけど、50本になり、100本になったら、増えたのか減ったのか分かんないから、段々どうでも良くなってくるよ。」

 

それから云十年!(程にはなりません)

矢は益々増えてきそうな感じ(笑)。

 

どうやったって、避けられない。避けられないんだから、批判されることを覚悟しなければならない。

何を言われても、受けて立つ覚悟無しに、これから先は無い。

 

そんな世界、生きたこともない。

大体慎ましく、静かに生きていたいのよ。

でも、何かを主張するということは、それなりの世界を生きていくということ。

神様が共に居て、批判に耐えていくということ。

 

大体、右に行けば行ったで、左に行ったら行ったで、人はいろいろ言うものだ。

だけど、批判する側より、批判される側になれるというのは、嬉しいものだ。

そう、思おう。

このページが楽しかった↓

「おかしな幸福論」―批判や非難されることに慣れるには

 

50本の矢が、100本になって、分からないわけなんてナイノダ。

矢がこれから莫大に増えて、おまけにとんでもない悪意まで飛んでくるようになるとなると、

想像しただけでも、うんざりする。

でも、タフになっていかなければ。

批判も批難も、全てが声援と聞こえるくらいに、タフになっていこう。

 

そう、そのためには、一生懸命仕事してればいいんです。

人の評価にかまってる余裕が無いんです…。

 

「世の人は我を何とも言わば言え

我なす事は我のみぞ知る」 坂本龍馬

 

と古の人は言うたもの。

批判や非難に慣れるには” に対して2件のコメントがあります。

  1. 通りすがり より:

    本投稿に限らず興味を引く面白いテーマや
    私の知らない世界、体験の話がたくさんあり
    私自身いろいろ勉強させて頂きました。

    批判や非難に関しては種類も質も
    いろいろありますから評価は難しいですが

    批判されるということは
    相手に評価されている事の
    裏返しと解釈できるかも知れませんね

    どうでもいい相手、意見なら
    無視されるわけですから

    反論してくるっていうことは
    何かが相手の心に引っかかった、刺さった、届いたからであり
    つまりは相手に自分の声(物理的な音声としてではなく、コミュニケーションとしての)が
    伝わったと解釈できるのかも知れません

    私も以前は批判を恐れ、避ける人間でしたが
    諸事情によりそうも行かなくなり

    自分のポリシーに反しないように
    物を言うするようにしました。
    (TPOを見て世間の常識や慣習には合わせますが)

    敵もかなり増えましたが
    私の人間性を受け入れてくれる方々が
    出てきたのもまた事実ではあり

    多少の批判耐性と物申す勇気
    そして自分にとって必要な人間が分かったのは
    大変良い経験です。

    自分の話ばかりですみません。

    いずれにせよ
    貴重な情報、経験のシェア
    ありがとうございました。
    私もいろいろと共感できました。

    応援しております。
    それではお体お気をつけて。

    1. church-mgmt より:

      お返事遅くなって申し訳ありません!
      日本に帰っていまして、ばたばたしてお返事遅れました。
      偉そうなことを書いていますが、言われればへこみの繰り返しです。

      >敵もかなり増えましたが
      >私の人間性を受け入れてくれる方々が
      >出てきたのもまた事実ではあり

      応援してくれる人が出てきてくれるのは嬉しいですね!

      苦しいことも、悲しいこともいっぱいあると思いますが、何度も何度も立ち上がっているうちに、
      きっと少しづつ成長していると思います。
      例え失敗でも、失敗しない状態よりも多くを学べます。

      通りすがりさんを私も応援しています!神様の祝福がありますように。

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