支配的な人とはさよならする

気がついたら、大分更新をサボってしまいました。

12月になったら、猛烈に集会が増えて、クタクタで帰る日が続いています。

通常の集会(祈祷会、早天、礼拝)で3つ。

日曜午後に必ず伝道会。

それ以外のクリスマスの集会、病院慰問等で7つ。

12月だけで23の集会です。

『行動主義教会からの脱出』という本が洋書で出されていたような気がするのだけど、読んでみたいと思う今日このごろです。

忙しくする教会は、信徒に「考えさせないようにしてる」んだって、ある韓国の牧師さんが言ってました。

 

さて、今日は勉強のため近くのUSJのスターバックスにやって来ました。人が少ないかと思ったら、多いのね。サンタの格好をした人がちらほら駅から降りてきます。

 

暖かい飲み物をすすりながら、大変な毎日ですが、豊かな気持ちにさせてくれるスタバの雰囲気ってすごいな~、としみじみしております。

 

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前から、少し書いてみたかったのですが、私は時々「コミュニケーションしないためのコミニュケーション」策をとる事があります。

 

今の任地では顕著にそうなりました。

 

多分、無意識に皆様も同じ策?を取っていると思います。

例えば、苦手な人は避ける、とか面倒くさい人とは連絡を取らないようにする、などです。

 

牧師なんですから、しかも対人関係の仕事ですから、「関係性を持つ技術」に長けることが大切な事かと思っていたのですが、時と場合によっては、「関係性を継続させない技術」、すなわち「逆コミュニケーション」が必要ではないかと思うようになったのです。

 

それは、受け流す、とか、適度に処しておく、とかいうこと以上に、積極的な自己防衛策です。

 

言い換えると

「私にこれ以上関わるな。さもなければもっと君に害悪が及ぶ処置を選択する。」というメッセージを相手に伝えることです。

このやり方は、勿論関係性を破壊してしまうので、通常一般使うべきでは無いと思います。

やるとしたら、やむを得ない場合…、なんとしても私達を支配下に組み込もうとしたり、利用しようとしてくるような人に行うものです。

 

本当に世の中には色々な人がいるもので、表面的な言葉以上に、巧みに他者から搾取しようとする人が居るものです。

 

小さな言葉の端々、目線、無視、コミュニケーションの取り方で、相手を萎縮させ、心理的に支配しようとする、とんでもない、「サイコパス」のような人間が教会にだって居ます。

 

それが家族であろうと、知り合いであろうと、顧客、信徒、上司であろうと、

我々が本当に畏れるべきキリストの位置に侵入し、我々が人を畏れるようなことになってきたら、

奮って断固とした処置が必要になります。

 

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私は、こんな事がありました。

どうしても話さなければならない事があり、立場が上の人と相談する事になりました。

でも、率直に言うと、その人が非常な支配体質の人でした。

分かり合うとか、合意とか、通じない。

 

で、事前に色々調べ、そのような傾向性のある人の動機や心理を調べました。

勿論私は素人なので、できる事といえば「こうではないか」という目測をつけることだけです。

 

分かってきたことは、尊大な態度の裏には、深い劣等感があるということです。

心理学をある意味「悪用」して、こちらが優位に立つように図ってみました。

 

「劣等感」を刺激するように話すのです。

話す位置は真正面から、目線は全く逸らさない、お願い調ではなく、生意気に上から目線。

 

果たして、効果があったのか無かったのか、何にせよその後の対応はかなり静かになりました。

 

立場などもありますから、すべてのパターンでこんなことは通用しなと思いますが、

選択肢として持っておくことも必要だな、と思いました。

追記:書いていて、何か自分すっごい悪人みたい!まぁ、そうだから、えぇ。

支配的な人とはさよならする” に対して2件のコメントがあります。

  1. たぬき より:

    はじめまして。
    私も教会のような非営利の組織のまとめ役となりこちらにたどり着きました。数年前の記事のようですが、今の私にとても役立ちます。
    教会は企業のようにお金という対価で働く、働いてもらうのでないので運営が難しいですよね。
    また、一定の条件を満たせば出入り自由なので変な人、支配したがる人も定期的にやってきます。
    まじめな信者のメンタルでは、相手に劣等感があるならそれを刺激しないことに力を注いできました。一般的なマナーではそうです。けれども、それではつけあがるばかりの人もいます。ほかで相手にされてない人だからまともに相手されれば居心地いいですものね。相手が支配したがるなら、こちらもそれに応じて対応しなければ大切なものを守れません。上から目線で命令口調はよい手段ですね。「あの牧師は上から目線で鼻持ちならない嫌な奴」と捨て台詞はかれたり悪口でも言われたほうが、教会をかき回されるよりずっとよいですから。不快な態度や人格障害の裏には劣等感があり、それを刺激すればそれ以上深入りしてきませんね。

  2. church-mgmt より:

    たぬきさん、こんにちは!
    自分で振り返ってみて、いやー元気だなぁと思いますが、お役に立てて何よりです(^^;) 。
    NPOも、教会も、非営利組織であるという点で、何を基準に運営をしていくかが、会社とは違うんですよね。
    会社ならお金をもらい、定められた時間内でサービスを提供するという基準がありますが、非営利組織は、色々な基準が不明確で、どこまでもサービスしなければならないような感じになるんです。
    特に、福祉的な意味合いがあると、来た人をどこまででも受け入れなければと思うんです。
    利用者の中には、そこを見越してか、とことん時間や資源を、自分が受けていいものだと思って来る人もいます。
    私は、組織運営の教育は受けてきませんでしたが、実際には教会という、一つの集団が機能するように世話をすることが、管理者の責任です。
    教会にも一般社会のように、様々なメンタルの人がおり、放置すれば組織全体に多大なダメージを与える人もいます。
    愛も、福祉も大事ですが、健全な組織全体のために、適切な線引きが必要だと思うんですね。
    自分も、組織も守るために、無茶な要求をしてくる人の影響力は、どこかで止める必要があると思っています。
    お仕事、元気に頑張ってください。問題のある人から、守られて、良い運営ができますように、祈っています。

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