「シュウキョウ」はどうして嫌われるのか。
衆議院選挙が目前であります。
耳に入ってきた、おばさま方の会話。
「前は❍❍党に入れてたのよ。でも後で❍❍党にしたけど、今度はねぇ。」
「❍❍党はどうかね。」
「いいような気もするんやけど、「宗教」やろ。」
「そうや、うちもそれが嫌。」
「宗教、しつこいし。」
どうして日本で福音が広まっていかないのか、という議論を良くすることがありますが、
私は宗教が「シュウキョウ」、胡散臭いもの、であるレベルを越えられない、
実際に越えていないどころか、相変わらず問題を生み続ける体質であることが原因だと思っています。
人が罪深いとか云々よりも。
キリスト教も例にもれず、あちこちから教団教派、規模を問わずに聞こえてくる様々の噂は耳を疑うばかり。
牧師の人格の未熟さ、貪欲さ。
教会の支配的で、押し付けがましい体質。
カルトと紙一重の教会も少なく無いと思います。
今日おばさま方が話していた。
「しつこさ」もその一端です。
「熱心」なのでしょうか、それとも「しつこい」のでしょうか。
どこまでかが聖書に沿っていて、どこからかが、間違った熱心になるのです。
人間が陥りやすい傾向なのかも知れません。
熱心が歪み、相手の思いも、自分の姿も見えなくなっていくのです。
人々の言う「シュウキョウ」がどんなあり方を指しているのか、
気をつけて、改めていくべきだと思うのです。