生きているだけで ―ライオンさんのこと 22

ライオンさんの奥さんのTさんからハガキが届きました。
以下に引用します。
「きのう午後、ある方のお見舞いに行きました。
…施錠されたガラス戸の向こうに、その方が嬉しそうに待っていました。
クリスマスの讃美歌を心いっぱい歌って、お祈りして、心ばかりの贈り物をさしあげて、帰るときの施錠は実に悲しいです。
「(その近くにある)病院に入院していたライオンさんのもとに週二回行き、
同じように施錠される悲しさを、私以上にライオンさんは悲しかったと思う。
(注:ライオンさんは退職後うつ病で入院していました。)
「こんどはいつ来る?」と毎回聞いた。そして答えた。
今日、病院にお見舞いに来て、生きていればこうして見舞える現実がもうないことが
残念に思えて暫く立たずんでいました。
生きているということは、ただそれだけで素晴らしいことだった。
重度障害者の子どもが召された人の手記を読んで、本当にそうなのかと思っていた。
それはその人を失った人にしか分からない悲しさなのだと、しみじみ思う瞬間でした。
けれども、ライオンさんは主の御許にいこわせていただいている。
・・・(ある方からの)手紙に、なぜライオンさんは死に急いだのか、とあった。
そこでライオンさんの若い時からの苦悩は病気によるもので、自分に完全さを求め、そうでなければ許せない、むしろ消去してしまおうとする苦悩を、若い時からの職場での戦い。
昇格、起用されても、文章がかけないことへの自分との戦い。
同僚・上司は、俺なんか文章を書いて出すと、テニオハだけ残して、あとは皆朱書されていたんだぞ、と言われても、自分の誇りはそれを許さない。
そのたびに精神科へ行ってうつと診断された診断書を持って、降格と休職の願い。
それを繰り返すこと3回。
新参者と同じ位置まで戻してもらって、何とか出勤し続けることが出来たもののシステムが変わるについて行けず、定年を待たずして58歳で退職。
…それから自死未遂の入院。もう決して、と4ヶ月半で退院してよかったものの、
年令を重ね、必要な入れ歯は嫌、だから食べられない。
トイレが間に合わないための粗相。夜半に目ざめて眠れない。
そうした年寄りの普通の姿が受け入れられないいらだち。
うつはそれを深刻なものにしたかも知れない。
すべて神さまだけがご存知のこと。
しかし、その素直な主への信頼と信仰を、神さまはよみされ、ライオンさんの限界を知って
御許に導いて下さった。
今、一番素晴らしいところに置いて頂いているのですから、もう悲しまないで下さい、と返信しました。
きっと理解し安心してくれたと思います。
ゆみさん。自分がどんなに大切なものか分かるでしょう。
生きていて下さいね。 T」
涙が出ます。
人の命と存在の尊さを、
私はまだまだ、分かっていません。
闇夜の向こうに、
良い明日が来ることを信じています。