「三途の川の渡守」みたいな牧師になりたい
こちらに来て、唯一訪問先となっていたところの、高齢の信徒さんが亡くなりました。
亡くなる前日に訪問したばかりでした。
4,5ヶ月ほど前からの訪問でした。
黄疸が出て、皮膚が荒れるようになると、もう、ですね。
目の表情、反応が、まさに光を失うといった感じです。
テレビを切った時のように、フツーン…と、反応が消えてしまいます。
人間の最期とは不思議だな、と思います。
一緒にいるべき人が、近くに居なくて、たまたまそこに居た人が、最期に立ち会う時があります。
私のように、経験が浅いと余計に。
その人の人生の晩年に出会い、その方がどうしてきたのか、どんな関係を築いてきたのか、何も知りません。
本人自身が、もう話も出来ない状態です。
神さまの計らいで、どういうわけかそこに立ち会い、ご家族と何かを話し、聞こえているかわからないけど讃美歌を歌い、聖書を読みます。
*********
牧師である、ということに特に何も誇りはないけど、
あの世とこの世の堺に立っている、何者かであるということには厳粛さを覚えます。
命を受けとり、命を送り出します。
世界観が違うけど、
「三途の川の渡守」みたいな牧師であれたらな、といつも思います。
どなたかが天国に渡るための橋渡しです。
大事な役目だけど、主役は舟に乗る人。
一緒に一時の旅路を共にする。
役目が終わったら、また元のところに帰ってくる。
それだけの役目だと思うのです、牧師というのは。
人を支配したり、偉そうにしたり、傷つけたりしないこと。
人の前に立つようにではなく、人に沿うように、生きていけたら。
寒い日に、そうしてまた一人、天国に飛び立って行きました。