「三途の川の渡守」みたいな牧師になりたい

こちらに来て、唯一訪問先となっていたところの、高齢の信徒さんが亡くなりました。

亡くなる前日に訪問したばかりでした。

 

4,5ヶ月ほど前からの訪問でした。

 

黄疸が出て、皮膚が荒れるようになると、もう、ですね。

目の表情、反応が、まさに光を失うといった感じです。

テレビを切った時のように、フツーン…と、反応が消えてしまいます。

 

人間の最期とは不思議だな、と思います。

一緒にいるべき人が、近くに居なくて、たまたまそこに居た人が、最期に立ち会う時があります。

 

私のように、経験が浅いと余計に。

その人の人生の晩年に出会い、その方がどうしてきたのか、どんな関係を築いてきたのか、何も知りません。

本人自身が、もう話も出来ない状態です。

 

神さまの計らいで、どういうわけかそこに立ち会い、ご家族と何かを話し、聞こえているかわからないけど讃美歌を歌い、聖書を読みます。

 

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牧師である、ということに特に何も誇りはないけど、

あの世とこの世の堺に立っている、何者かであるということには厳粛さを覚えます。

 

命を受けとり、命を送り出します。

 

世界観が違うけど、

「三途の川の渡守」みたいな牧師であれたらな、といつも思います。

 

どなたかが天国に渡るための橋渡しです。

大事な役目だけど、主役は舟に乗る人。

一緒に一時の旅路を共にする。

役目が終わったら、また元のところに帰ってくる。

 

それだけの役目だと思うのです、牧師というのは。

人を支配したり、偉そうにしたり、傷つけたりしないこと。

 

人の前に立つようにではなく、人に沿うように、生きていけたら。

 

寒い日に、そうしてまた一人、天国に飛び立って行きました。