愛のカタチ
一連の葬儀が終わりました。
これまで、様々な葬儀を見てきましたが、その中でも心に残る葬儀の一つでした。
このご家庭のルーツは、私と同郷の島、のまた島。
そこから大阪に出稼ぎに来た、おじいちゃんと、おばあちゃんから、沢山の家族が始まっています。
現代では珍しい、家族の絆が強い一族で、家族だけで県民会が出来てしまうほどの多さでした。
訪問をするたびに、おじいちゃんはいろいろな話をしてくれました。
戦争の話、島がGHQの支配で、日本本土と切り離された話、
島での暮らし、貧しさや大変さ、出稼ぎに来た話。
島で生まれた5人か、6人かの子どもたちは、産婆さんが居ないので、
「お母さんが産んで、自分で取り上げた」と話していました。
まるでマリヤとヨセフの話でも聞いているようでした。
「末の子のときは、自分はもう神戸に出稼ぎに来ていたのだが、生まれる頃合いを見計らって、(出産を手伝うために)1週間帰った。お母さんは身体が丈夫だったから、計算通りに生まれてきた。」と。
耳を疑う、ミラクルな話。
昔の人のたくましさを思います。
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葬儀の時から、おばあちゃんは優しかった、と親族の方が口々に話し、故人の人柄が偲ばれました。
ちなみに、「おじいちゃんは、昔からあの通りだ(笑)」とご家族談。
きっと、おじいさんと家族を影に日向に支える、大きな存在でいらっしゃったのでしょう。
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葬儀が終わり、出棺の際、親族以外は見送りのため外に出ました。
何だか出棺が手間取っているな?と思って会場の様子を見ると、おじいちゃんが、棺の蓋を閉じる前に、故人のそばに寄り添って、一生懸命何かを言っていて、親族の方がその周りを囲んでいました。
耳が遠く、腰が90度に曲がったお爺ちゃんは、前日救急車で運ばれるほど、ショックを受けていました。
近くに行きましたら、こんなことを言っていました。
「おばあちゃん、ありがとう、これまで、ありがとう。
本当に、長い間、お世話になりました。
子どもたちも、孫達も生まれて、皆んな幸せだ。
おばあちゃんが優しかったから、みんな助けられた。
おばあちゃん、本当にありがとう。
こんなに出来た女性と結婚できて、自分は幸せだった。
しばらく、お別れになるけど、天国で会おう。
天国で、また会おう。」
それを見て、親族の方々と共に涙するのにひとしきりでした。
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笑いあり涙あり、家族の絆、本当に多くの山坂をくぐり抜けてきたことでしょう。
一つの夫婦の姿に寄り添いながら、尊い愛のカタチを見せていただいた思いでした。