宗教団体の中で感じる「同化圧力」

本日は、教会のイベントの集合時間を間違えて遅刻してしまいました。

自分でも申し訳ないくらい、教会に関する仕事への注意力が落ちています。

ですから、初任地ということもありますが、色々とミス頻発です。

 

人間の深層心理とは、恐ろしいもので、記憶の範囲から無関心な出来事は欠落するのだな、などと思ったり何たり。

イライラされるのも、ごもっともです!

 

しかし、まさか「うん、もう辞めたくてたまらないから、脳内から君たちのことが抹消されてるみたい。」とは言えません(´エ`)フフ。

 

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さて、一つの区切りを前に、心情複雑な日々も佳境。

 

私は20歳で洗礼を受けて、約10年を現在所属している教団で過ごしてきました。

 

私にとってキリスト教とは=今の教団

信仰とは=今の教団

キリスト者とは=今の教団

クリスチャン関係の人=今の教団  でした。

 

あれから10年。

同じ教会で肩を並べていた人も、ある人は別の教会へ、ある人は別の教派教団へ。

そして、自分自身も、卒業してから別教派、教団、単立、国外の先生、信徒さんと触れ合う機会を与えられました。

 

今心境的には、井戸から出て、海へと旅を始めたカエルのような気持ちです。

 

たとえ自分が両棲動物で、皮膚が塩水には適さないとしても、それでも地上に生まれたなら、海を一目見たいのです。一生を井戸の中で、小さな空を眺めて終わるなんて、私には出来ないのです。

 

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10年。

 

どこの所属でもない自由な立場になって、これまでを振り返っています。

 

苦い笑いしながら、終ぞ、キリスト教会というものに親しみを感じることはなかったな、と思っています。

 

神学校、牧師として、働いていましたが、自分は違う世界の人間だという違和感は、この10年ではぬぐえませんでした。

 

それは、私自身の感じ方に原因があるのかもしれません。

元々、私は群れるよりも、一人でフラフラと生きるほうが性に合っているからです。

 

自由が、私には必要でした。

 

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全体主義、集団主義的と言える今の教会の文化に触れて、神学校の頃を思い出します。

例外や自由や、自分の意志、志向性というものは認められず、すべての参加者が同じ方向に参加することを求められる。

 

まるで、「同化圧力」。

 

神学生の時、「神の家族」という写真集が教会にあって、それに教会員の写真が貼ってありました。

それを見た時、絶対貼ってほしくないなぁ、と思いました。

 

教会で、兄弟姉妹、と呼ばれることも嫌でした。

 

教団の発行物で、「「神の家族」としての一体感」が強調されると、逃げ出したい気持ちになりました。

 

どうしてもどうしても、私にとって教会で関わられる距離は「図々しく」、社会一般の礼儀を踏み越える免罪符のようにしか映りませんでした。

 

キリスト者の愛情に温めてもらった私にとって、家族ということは理解したいのですが、どうも腑に落ちない関係性に違和感は消えませんでした。

分かる部分の「愛情」と、分からない部分の「愛情」があるのです。

 

教会の行事だから、奉仕するのは当たり前、多少不躾な対応も、「家族」だから当たり前になるのでしょうか。

特定の有力一族や権力者(牧師・役員)のために、何の繋がりもない人たちがいいように利用されているように見えることもありました。

 

神学生の時感じたことは深い孤独感でした。

クリスチャン家庭でない環境で育ってきた私と、「クリスチャン」世界とのギャップ。

教会では常に自分は「奴隷」のようだと感じていました。

まるで人格もなく、居ても居ないかのように扱われ、それが一奉仕者としての、私が感じた実際でした。

何度、自分のいた世界が懐かしいと思ったか分かりません。

普通の日本人として過ごしてきて、こんな思いを味わったことはありませんでした。

 

10年。

 

色々なことを振り返っています。

 

私には、終ぞ分からなかった。「神の家族」の世界観。

そんな関係性に組み込まれて「家族」だなんて言われる位だったら、「他人」として礼儀を忘れないでいてくれる方がましです。

 

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より広い意味で、繋がりを感じる人達はあります。

人間として、苦楽を共にし、自分を大切にしてくれる人たちのこと、そんな人たちのことを忘れることはありません。

 

「家族」とは、どういうことでしょうか。

 

同じ教団教派・教会だとしても、一年中顔を突き合わせて、排他的で、自分たちの利益しか見えないような家の一員に、私はなりたくありません。

 

他者のことを考える人、自由を生きる世界の一員でありたいと思うのです。

 

私が経験したことは、ただの一個人の出来事かもしれないのですが、

教会に連なるということに、これほどまでにカルチャーショックがあるなら、日本でキリスト教が普及しない理由の一つだと思います。

 

これまで居た世界が、これからもそうなのか、そうでない世界があるのか、私には分かりません。

 

何にしても、私は一度自由になろうと思います。

 

そうして、またいつかこの世界に戻されることがあったら、違う世界を人々と見てみたいと思うのです。

宗教団体の中で感じる「同化圧力」” に対して1件のコメントがあります。

  1. shine(シャイン) より:

    church-mgmt様へ。
    shine(シャイン)です。
    お久しぶりです。

    本日の教会のメッセージで気になったことがあります。
    教会内で、教会員同士で「兄弟姉妹」と言い、
    あいさつをするようにとのことです。
    個人的には、あまりあいさつしていないし、
    あまり話しかけたりしないので、
    心身的に負担になっています。
    これからもよろしくお願いいたします。

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