自分を許す―ライオンさんのこと 23
奥さんのTさんに、夜8時に電話します。
季節が厳しい時期だからか、すこし塞ぎ込みがちになっているようです。
教会を除けば、唯一の外出理由となっている体操教室に必死の思いで出かけ、それから帰ると夜に休む時までずっと家の中にいるそうです。
夜8時にかかってくる私からの電話が唯一の予定で、それが無ければあとは寝るだけ。
食欲が無いし、身辺を綺麗にする元気もない、お風呂も億劫とのこと。
一度や二度、心を明るくしようと前を向いても、また下を向いてしまうのは、人の心として自然の成り行きです。
Tさん 「教会の人と話していたの。その人は、お母さんを11年介護したの。
その人はね、お母さんを自分なりに大切にしていたと思うんだけど、ある日家に帰ったら、お母さんが寂しかったのか、お酒を飲んでベロンベロンに酔っぱらってたのね。
それで、その人怒って、それならもう、早く寝なさい!って、寝室に押し出したの。
そしたら、お母さん足元がふらついているもんだから、それで転んでしまって、翌日様子がおかしいと思ったら、脳梗塞になっていて、病院に運び込まれて、それから寝たきりになったのよ。
「でも、11年お母さん看てあげられたんだから、よかったじゃない。私にはその期間もなかったわ。」
って言ったら、
「いいやTさん、それはそれ、これはこれ。そのことは私が一生背負っていかなければならないものなの。」って言ったのよ。
すごいなぁ、と思って。
私にはそんなこと出来ない。強くないから、こうして毎日めそめそしてる。
どうして私の周りには、こんなに強い人がいるのに、私は弱いんだろう、って思うの。」
私 「私がTさんの立場なら、もっとどうしようもない状態だと思うよ…耐えられないと思う。
背負ったら、いけない。背負ったら、おかしくなる。
それは、神さまが望まれることではないよ。
自分を責める気持ちは分かるよ。私でもきっとそうする。
でも、責め続けて、円形脱毛症になって、胃潰瘍になって、ハゲハゲのボロボロになっていくことは…神さまがTさんにあって欲しい範囲から外れていくことだろうと思う。」
Tさん 「それはどういうこと?」
私 「時々、自分自身で思うの。私が私を第三者として見たとしたら、「もっと頑張れ、努力が足りない」って言うかなって。神さまは、自分の子供を、こう扱って欲しい、って思う範囲があると思うんだ。もし、私がいじめられていたら、Tさん怒るでしょう。」
Tさん 「うん。」
私 「私が、自分のことを受け入れられない!って言って、リストカットしてたり、自分のことを叩いていたら、「やめなさい」って言うでしょう?」
Tさん 「うん」
私 「Tさんと同じ状況の人が、お隣に住んでて、「自分が悪かったからだ」って言ってたらどうする?」
Tさん 「「そうだ、お前が悪い」とは言わないと思う…。」
私 「でも、自分には言っちゃうんだよね。
なぜか、自分だと思ったら、どこまでも責め続けてしまう。
自分が許せないんだ。」
Tさん 「そう、そういうこと!」
私 「許されるなんて図々しくて。」
Tさん 「そう。」
私 「でもさ、神さまはその状態、好きじゃないよ…きっとね。
ユダは、自分が許せなかった。
ペテロは、図々しく..?なにかを受け取ったんだよね。」
「きっと、私がTさんの立場なら、私は自分を許せないと思う。
でも、時々思う。許すほうが、許さない生き方よりも辛いんじゃないかって。」
Tさん 「…」
私 「神さまは、Tさんが自分を大切にして、生きている姿を頑張ってるね、って言ってくれると思う。自分をいじめ抜いている姿より。ライオンさんも、きっとそうだよ。
同じ辛いなら、大変な方を取ろうよ。自分を許して生きるんだ。
イエスさまは私達が生きるために、十字架にかかられたんだから、背負うのは望まれない。」
Tさん 「より、大変な方…許して生きる、ねぇ…。分かった、そう考えてみる。ありがとう。」
**********
自分の立場だったら、自分を許すということが出来るだろうか。
真面目であればあるほど、自分の失敗が許せない。
自分自身が許せない。
だけど…もし自分が、自分という他者であったら、神さまから預かっている一つの被造物だとしたら。
自分を打っている手を、自分で止めるのではないだろうか。
他人には出来ても、自分には出来ない不思議。
一番近い他者、自分を大切にしていきたい。