聞くと苦痛になる説教をしないで下さい

メッセージには、メッセンジャーの性格的特徴が反映される。

マタイらしさとか、ヨハネらしさとか、パウロらしさとかがあるように。

 

どんな形でも、福音が伝わればいいのだが、困った特徴を発揮する場合がある。

 

自分なりに幾つかのタイプを分類している。

 

カレー説教型-何を投入しても全て同じ味にしてしまう、カレーの如き説教。

聖書箇所のどこから話しても、結論が同じである。

キーワード:「捧げましょう」「献身を新たにしましょう」

 

お局説教型-陰湿、人を不安に陥れるような説教。

内向きで、神経質にさせる。他者のことが目に入らず、自分の救いとか、

求道に焦点が当たる。実の所、人格的成長に至らない場合が多い。

自己満足的である。

キーワード:「注意していないと信仰から落ちる、罪を犯す」「怠けていませんか」

「礼拝厳守!!」

 

虎皮キツネ型-神への服従を説きながら、実は教会や牧師の権力への服従をちらつかせている。

虎の威を借りるキツネの如きメッセージ。

キーワード:「服従」「反抗は罪」

 

冒涜型-メッセージを利用して、特定の出来事をほのめかしたりしながら、聞いている人を

攻撃するもの。本人は、相手に注意しているつもりかもしれない。

個人的には、神から恐ろしい裁きを受ける可能性がある、一番危険な行為だと思う。

なぜなら、これは自分を神の代理人(もしくは神そのもののようにして)神の言葉を

使っているからだ。

これをするタイプの人は、相当吹き飛んでいるか、妄信的な場合が多いので、

近づくと大変。

 

矛盾型-講壇上で言っていることと、日常の生活でしていることがかけ離れているが、

その矛盾に気がつかないタイプ。信徒さんや周りを大いに混乱させる。

神の愛を説きながら、権力志向で偉そうにしていたり、えこひいきしたり、

人間性が全く伴っていない。 一般人や求道者に対する、巨大な躓きの岩である。

教会でチヤホヤされて育った層に散見される。

自己愛性人格障害か、境界性人格障害の可能性もある。

知的な能力はあるので、言うことは立派だが、

余計に日常の生活とのギャップが激しくなり、理解に苦しむ。

 

落馬とは、馬から落ちることである型-

      講義型説教とも言われるが、要は何を言いたいのか分からない説教。

聖書のことを話しているのだが、まるで解説のようであったり、

同じことを言葉を変えて言っているだけで、時間ばかりが流れていく。

虎皮キツネ型や冒涜型のような攻撃性はないので、それほどの害はないが、

聞いている方は知らない言語の授業を聞いているような苦痛に襲われる。

 

 

 

と、まぁ色々思いつく限り書いてみましたが…。

いい方のタイプもあるんですよ。

 

私は以前「希望の神学」という言葉を聞いたことがあります。

それ以来、人が希望を持てるような、希望のメッセージにしようと取り組んでいます。

 

未来へ向かうエネルギーは、内向きや後ろ向きのメッセージが指摘しようとするような問題を自然に解決するものだと思うのです。

自分のことだけに目を向けていても、人格的な成長や、恵みを伝えることって出来るでしょうか。

神さまが命じていることは、自分のことでもありますが、他者との関わりにおいて達成されていくことじゃないでしょうか。

 

出来るだけ、目線を外に向けるように、そしてより高い所から全体を見渡せるような、霊的な視点を引き上げるのが、預言者的な牧師の仕事ではないかと思うんですね。

 

で、早くメッセージ作らないといけません。

こんな、書いて、余計な回り道してる場合じゃない。