「くだらない」事のために
今月末の試験を…受けようかと思っていたのですが、見送ることにします。
申込までしたのですが…。
これを受けなければ、ある大切な締め切り期限に間に合わないのだけれど(最終のものはまだチャンスがありますが)、色々考えました。
万が一、発覚した場合…悪さの限りを尽くしてきたので、多少怒られるくらいいいのですが、
メッセージを語れなくなる、と思いました。
私がメッセージの当務をするのは、あと数回です。
ずっと、メッセージには力を入れてきました。
それも、ひとまず今回のことで閉じなければなりません。
またメッセージをする日が来るのか、私には分かりません。
話す日もあれば、閉じられる日も来る、全て神さまの配慮の中にあることです。それでいいと思います。
なぜ試験が受けられないのか。
たかだか20分のトイレ掃除のためです。
赴任した時から、いやその前から、この問題には頭を痛めてきました。
そのために途中で辞めようとした程です。
色々手も尽くしました。しかし、あらゆる手段が難しく、ここのガチガチの体制の下では、外では寛容に受け入れられることが受け入れられないことが分かったのです。
少しの怪しい動きが、すぐに連絡報告されて注意となって返ってきます。
言葉では形容し難いですが、あの気持ちの悪い圧力に付け入られる理由を与えることになります。
たかだか祈祷会のメッセージです。
いつも通りの。
どうして、私がここに来たのか、考えました。
でも何も分かりません。
何の意味があるのか、そしてここにいるために出来ないことも沢山ありました。
今回のこともそうです。
私にとってはどうでもいい拘りやルールのために、そして自分が居なくても出来るようなトイレ掃除のために、私にとっては将来がかかった大切なチャンスを失うのです。
メッセージを作りながら、考えました。
もしも見つかった場合、再三ながらに追求されるだろう。
すごくリスクが高い種類のミスになる。
その上で、メッセージを語れるだろうか。
堂々と。
何のために、ここにいるのか分からない。
たかが、残す所数回のメッセージ。
誰の心に何の印象も残さないかも知れない。
でも、最期まで私は堂々としていたい、のです。
何がしか、使命があってここで働いている者として、堂々とメッセージを語って終わりたい。
使命を全うできるように。
意地っ張り、かも知れません(笑)。
くだらないことのために、くだらないルールのために。
ひたすら時を待つ。
動かないことを学ぶ。
神さまが動いて下さることを、待つ。
ここで学んだことは、そういうことだったかも知れません。
あらゆるチャンスが絶たれたように思う中で、希望を持ち続ける。
堂々と語り、堂々と去る日を待ちます。
(注:離任後の受験チャンスはまだ有ります。)