組織の「常識」に対してNO!と言う

アンディー・スタリーの新年からの説教シリーズを聞いている。

「New year’s resolution(新年の目標)」。

一回目はネヘミヤ記から。

崩れたままのエルサレムの城壁のニュースを聞いて、ネヘミヤが心を痛めるという所。

 

「大体の人は、痩せる、とか、旅行に行く、とかそういう目標を立てる。

でも、私はみなさんにある質問を投げかけたい。

霊的な目標です。

それが、私のメッセージ。

こんな質問。

あなたが心を痛めているものは何ですか?(What have broken your heart?)

 

社会の中で、家庭のなかで、会社の中で、学校の中で、子どもたちの中で、

あなたが心を痛めている所は、どこですか。

自分にはとても手に負えない、私にはこの問題を解決する力も能力も、立場もコネクションも、資金もない。

これはずっとこうやってきたんだ、だから、どうすることも出来ない。

あなたがそう感じている痛みのことです。

 

ネヘミヤは、エルサレムの城壁のニュースを聞いて心を痛めました。

そして、彼は城壁を立て直すために立ち上がりました。

 

あなたが、招かれている痛みはどこですか。

神の城壁を立て直すために、あなたが招かれている場所は。

あなたが心を痛めているものは何ですか?

とても危険な質問です。

 

確かに、私達には世界を変える力はないかもしれない。

でも、生かされている立場で、何かを変えることが出来る。

自分を、家庭を、職場を…。」

 

こんな感じのメッセージ。

 

いやはや、さすが。

 

 

で、このメッセージ終盤で、実際にアンディー・スタンリーが「心を痛めた」所について、話している。

 

それは、教会に来ている子どもたちが、教会を嫌いになって離れてしまう、という点である。

 

「親から教会に連れられて、お祈りしていた子どもたちが、何年かしたら、もう教会にはいかない、と言い始める。

それどころか、心底教会を嫌いになって、神から離れていく。

どうして、こんな問題が起きるのか。私は心が痛んだ。

だから、そのことに対して私達はチームで協力して動いてきた…。」

******

 

メッセージに感銘を受けたが、それと同じように、子どもたちの問題に着眼している、という点も興味深い。具体的にどうしたのか知りたいが、そのことには触れられていなかった。

 

同じ問題は、日本の教会にとっても大きな問題だが、暗黙の内にスルーされている。

 

正に、悲しい出来事だが、どうしようもないものとして見過ごされてきた。

 

でも、私達は「心を痛める」ことが出来る、というのがアンディーのメッセージである。

「仕方がないこと、こうであることが当たり前になっていること、こんなもんであるという問題」に対して、私達はNO!と言うことが出来る。

 

こんな世界、当たり前じゃない。

こんな状態、仕方がない、わけじゃない。

 

きっと変えられる、もっと良くすることが出来る。

 

そんな未来があるのなら、やらないでおくなんて、勿体ないじゃないか。

 

神さまの手の中には、もっと良い未来が用意されていて、働き人にチャレンジを、促しを与えられる。

その祝福を受け取るように、と。

 

見えないものには向かって行けない。

でも、何かがぼんやりとでも見えているのなら、心が痛んでいるのなら、それは神さまの働きへの招きである。

 

何も見えない、感じない人には変えようも無いのだから。

心を痛める事が出来る。

 

当たり前で、仕方がない、なんてうなだれちゃいけない。

城壁を立て直すために、立ち上がる。