良心の呵責に苛まれる

良心の呵責に苛まれながら、夢現に寝ていても歯ぎしりしていたことを思い出す。

 

とんでもないレベルの怒りになっている、

 

環境にも、自分にも、これまでの経緯にも怒っている。

何を、どう理解すればよいのか、一向に分からない。

 

でも、朝目が覚めたら、不思議に気持ちが軽かった。

 

自分が自分を許せないことは分かっている。

理解できるまで食い下がるのが習性だから。

 

だけど、ちゃんと起きて、ご飯も食べた。

おかしい。

 

神様が心の棘を抜いてくれたみたいだ。

サボテンみたいに刺さりまくっていた刺を、綺麗に抜いてくれたみたいだ。

 

自分は自分を怒りまくっていたが、神さまは違う意見をお持ちのようだ。

聖書を読んだら、こう書いてあった。

 

「 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

  あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。

上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

自分の敵を愛しなさい。…いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

  あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」

                                              ルカ6:28~36

そう、神様が仰るなら、理解は出来ないけれど、イライラするのは止めておいたほうが良さそうだ。

 

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孤独、というのは、1人でいるということだけではない。

分かり難い苦しみを1人で抱えている、ということだ。

 

一人になってしまう。それが、いけない場合もある、ということが分かっていても。

家族に心配かけたくないという理由や、言ってもしょうがない、という思いや、

なにか黙りこんでしまうものがある。

 

でも、きっと、神さまはそんな孤独も見ておられるのだろう。

こんがらかってしまった糸を、解いてくださる。

 

きっと、自分は、野原で草に絡まって動けなくなってしまった羊状態で…

だから、多分担いで帰って下さったのだろう。

そして今日も、アホな羊は生きています。

 

天の父ほどに、あわれみ深くはなれないように思いますが、とりあえず生きています。

学ぶべきことが、まだまだ多いことを思いながら。