もしかしたら -ライオンさんのこと 27
ライオンさんは肉が好きだった。
草履のような大きなステーキをぺろりと食べた。
だから、つけたアダ名が「ライオンさん」だった。
キリギリスのようだった私は、長崎に来て、ライオンさんとTさんと食卓でごはんを食べるようになり、初めて家庭らしい食卓というものを味わった。
Tさんの作る食事は、温かくて美味しくて、ライオンさんの昔話は面白かった。
何度聞いても。
子供の頃の話や、戦争の話、若いころの話、仕事の話、好きな小説の話、よく行く喫茶店の話。
ライオンさんと私で、競争するようにして、肉を食べていた。
新たな敵が増えたので、ライオンさんも必死で、賑やかな食卓だった。
そして軒並み、皆体重が増えた。
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ライオンさんの通っていた精神科の先生が、
病院でライオンさんの口から私の事を聞いていたようで、
「その子の存在は、ご主人にきっと良い刺激を与えていたと思いますよ。」と奥さんのTさんに話したことがあったそうだ。
私はまるで、拾ってきた犬のようにライオンさんの家に転がり込んで、食べたい放題していたのだが…。
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一生懸命生きてきたライオンさんは、死んでしまった。
一緒に生きてきた努力は、何だったのだろうと、思うことがある。
でも、今日思った。
もしかしたら、ご飯を取り合うだけの私だったけれども、一緒にいることでライオンさんの命を、少し伸ばしてあげられていたのかもしれない。
私の存在が(勿論私だけではないけれど)、ライオンさんの生きる希望になっていたのかもしれない。
もしかしたら…
もしかしたら。