カルト化を防ぐためには内外からの評価制度が必要

一つの大きな課題なのだが、牧師や教会運営の質を客観的に評価するシステムが必要だと思う。でも、方法がわからない。

何が効果的なのかも分からない。

評価が教会の運営にどんな影響を与えるかも。

であるにしても、何らかの評価があるということは、ひどい質の牧師が教会をダメにすることを防ぐことができるし、失望の末に去っていく信徒さんの数を減らすことが出来ると思う。

大学生だった時のある年、大学が教師の評価制度を始めた。

授業の内容や、教師からの評価、教師としての姿勢などの項目があった。

教師によっては、とてもこのシステムを嫌っていた。

自分としては、良い授業だと思う先生には高い評価を、教科書を読んでいるだけの先生には、低い評価をつけた。

 

文句を言っていたのは、実は非常に優秀な先生だったが、その先生はきっと結果的に良い評価を学生から得たと思う。人気の講師だった。

極端な事をいう人はいると思うが、総じて人々は適正な評価を与えてくれると思うのである。

 

自分としても、評価を受ける立場になったら、あまりいい気持ちはしないが、それでも知るべきことだと思って、人からの評価を受け止めたい。

 

人からの評価によって、補うべきことを知ることができるし、何より「正すべきことを受け入れていく」という姿勢を維持することに役立つ。

 

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謙遜、柔和と言いながら、自分は正すべきことなどない、と「教える側」は思いがちだ。

人格としてどうか、メッセージの質はどうか、牧会上での良い所、改善すべき所はどこか、

蓋を開けたらとんでもない事だってあるだろう。

それでも、恩師の言葉を借りれば「臭いものに蓋をしたら、腐るのよ」である。

問題は早い内に対処するほうがダメージは少ない。

ビル・ハイベルズが、以前自分の教会のスタッフのために、外部のコンサルタント会社にお願いして評価をしてもらったと言っていた。

自分たちではなく、外部に頼むことにより、スタッフにとって、自由に意見を出す機会になった。

色々問題が見つかったが、数年後には十分な満足度を得られるようになったと話していた。

 

もし、自分がそのスタッフの一員だったら、問題を改善しようとしている姿勢は、とても評価できることだと思い、その教会の将来に希望を持って働き続けるだろう。

 

未来永劫にわたって、自分たちの意見が反映されることもないし、聞く耳も持たれない。

この先生は、この教会は、私達の意見を顧みることをしない、と思えば希望を失って離れてしまう。

 

牧師に絶対的権威を置いている仕組みでは、牧師は安泰だが、信徒さんには意見を反映させる余地が非常に少ない。

能力の如何にかかわらず、権威だけがあるとなれば、出来の悪い牧師の下で、教会は大災害である。

牧師の出来具合で教会が大きく左右されてしまう。

 

安定した質のサービスを提供するために、商業的な言葉を使えば「利用者」、「顧客」の意見を反映させる必要があると思うのである。

 

対極的な立場では、招聘制の教会、信徒が絶対的な力を持っている教会もあるが、それはそれで不安定な場合がある。

 

どうすれば信徒さんに安心して教会で魂の養いを受けられるサービスを提供できるか。

安定して。

色々な運営スタイルを見てみないといけない。