精神的、霊的支配の後を生きる
静かに過ごす毎日です。
今自由な立場になって、まだ整理できない部分はありますが、色々考えます。
一体自分が居たあの世界は何だったのだろう。
神についていくってどういうことだろう。
献身ってなんだろう、などなど。
何だか理解不能な世界に振り回されて、怒ったり何たりした日々。
私はこれからも、よく知らない一族の利権関係の餌食になるべきだっただろうか。
きちんとした休みもなく、自分の車一つ洗おうとしない人々のために、まるで小間使いのような扱いを受けながら?
住む場所の自由も、働く自由もない、将来に不安を抱えながら、考えないようにして生きていく。
もっと、出来ることはあるし、人の中には可能性も創造力もある。
世界は上にも下にも、右にも左にも広がっているのに、狭い世界に閉じ込められる。
・・・今の立場になって、これくらい反骨的な私であっても、受けた枠の中で考えていたことを、しみじみ実感します。
なんだかそういうことは、神につながるという目的のために、必要なことだったのかどうか。
少なくとも、前の教会はさっさと逃げ出してよかったと思っています。
ちょっとしたカルトを脱した気分です。
まるで洗脳みたいに、逃げられないやめられない、こうでなければという見えない鎖に繋がれて、異常な世界でした。
罵声を浴びせたり、呼び出して長時間説教をしたり、靴や車を磨かせる。訓練と称して。
人にそういうことを頼んでいいのかどうか、そういった距離感が麻痺していくのが宗教だとしたら、逆に人格を踏みにじるようなことを肯定していくのが宗教だとしたら、なんと残念なことか。
宗教が嫌われるというのは、そういった悪行が積まれ成される結果ではないでしょうか。
私は今霞の中に居るような気分です。
でも…何にしても、これまでの歩みに区切りをつけることが出来て、何だかほっとしています。