見えない精神的支配を断ち切っていく
自由だ、って思いながら。
行くとこも、住む所も、することも、出会う人も、自分で選んでいくことが出来る。
自由なんだ、って。
どうして、自由でないって、思ったんだろう。
元々、何の鎖も繋がっちゃいない世界に住んでいたのに。
あれは、神さまが作った世界だったんだろうか。
システムとして不自由だった。
自由を削ぎ落とすような、私達は自由ではないということを教えこむような仕組みだった。
離れてみたら…それでも私は生きていける。
それでも、私は生きていける。
どうして、あんなことにならなきゃいけなかったんだろうか。
私達は、自由でも神さまの恵みの中に生きることが出来る。
主にあっての自由というのは、何でもかんでも許されるというわけではないだろうけど(犯罪とか)、豊かなものではないだろうか。
意思を失うことで、人生の選択を誰かに任せることで…。
不信仰というレッテルを避けたいだけだった。
それから起こってくる、悪い結果を恐れて、
でも…。
責任を持つこと、自分の選択…
もっと豊かになっていくことが出来る。
私は自由の中で、神の後をついて行く。
この生き方の中でも、神さまは動かれるということを見ていきたい。
そう信じている。
私は生きていける。
自由に、生きていく事ができる。