見えない精神的支配を断ち切っていく

家のすぐ裏は鴨川のほとりです。

朝に夕に、河原でぼんやりします。

 

なにか考えるということは、まだ余り出来ません。

これまで居た世界と、今居る世界。

 

何だったんだろうって思って歩いています。

自由だ、って思いながら。

行くとこも、住む所も、することも、出会う人も、自分で選んでいくことが出来る。

 

自由なんだ、って。

 

どうして、自由でないって、思ったんだろう。

元々、何の鎖も繋がっちゃいない世界に住んでいたのに。

 

あれは、神さまが作った世界だったんだろうか。

 

システムとして不自由だった。

自由を削ぎ落とすような、私達は自由ではないということを教えこむような仕組みだった。

 

離れてみたら…それでも私は生きていける。

 

それでも、私は生きていける。

 

どうして、あんなことにならなきゃいけなかったんだろうか。

 

私達は、自由でも神さまの恵みの中に生きることが出来る。

主にあっての自由というのは、何でもかんでも許されるというわけではないだろうけど(犯罪とか)、豊かなものではないだろうか。

 

意思を失うことで、人生の選択を誰かに任せることで…。

不信仰というレッテルを避けたいだけだった。

それから起こってくる、悪い結果を恐れて、

 

でも…。

 

責任を持つこと、自分の選択…

もっと豊かになっていくことが出来る。

私は自由の中で、神の後をついて行く。

 

この生き方の中でも、神さまは動かれるということを見ていきたい。

 

そう信じている。

私は生きていける。

自由に、生きていく事ができる。