カルト教会の異常な世界観に巻き込もうとする圧力
今日は8月10日ですね。
思い出すなぁ、去年の今日は大阪の某「牧師先生」方に休職の意向をお伝えした日でした。
去年の8月10日は台風で真っ暗で重苦しい会堂で2対1でした。
副牧師の事は奥様先生に任せているから、同席させるとの返事に、居丈高に上から目線作戦で乗り切ったあの日。
もういちいちいちいち、言葉の端々に自分が偉いなどというニュアンスを混ぜたがる「牧師先生」にテーブルについてもらうのは大変だった。
ストレスでよく寝られないし、常にイライラするし。
休職宣言後はというと、4月まで針のむしろの毎日。
「牧師先生」ご夫妻からは、事細かな週報とか、何とかの一字一句で間違えれば「集会で謝れ」だの何だの、事あれば冷たい扱いを受け続けた。
休職意向を伝えていた本部の方はどうだったかというと、伝えていたにも関わらず知らぬ存ぜぬ、どうのこうのと、ほんとにもう八方塞がりだった。
私は1人ではなかったけど、物理的な意味では1人だった。
全く知らない土地と環境、高圧的で支配的な世界で、実際に事を進めなければならないのは自分一人だった。
大変だったなぁと思う。
そして今は、よかったなぁと思う。
組織や人に自らの命運をかけない。
やりたいと思うんだったら、たった一人でも堂々とやり抜けばいい。
神の恵みは役職や立場で変わるわけではない。
主牧だろうが、副牧だろうが信徒だろうが、自分の使命を確信しているなら豪然として立ち向かえ。
異常な世界観に巻き込もうとする圧力の中で、自分の世界に生きることが出来たのは、神に愛されているという絶対的、盲信レベルの自信過剰に満ち溢れていたからだ。私は組織や「先生」方を通じて神につながっているわけではない。
それらは神ではないし、従わなくても神に逆らっているわけではない。
良いと思うことは何なのか、自分の頭で考え続ける。
神さまとの関係の中で。
あれから1年が経った。
自由に生きていこう。