あの日から1年-ライオンさんのこと 30

クリスチャンの恩人が自死してから1年を記念して、特集コーナーを作りました。 信仰者の自死は色々なことを言われ、二重三重に傷つきます。色々な中を通りながら、考えたこと、理解していったことの記録の数々です。
8月28日、ライオンさんが自死した日から1年です。
1年前のこの時間、まだライオンさんは生きていました。
12時間後は生きていませんでした。
3日後になったら、1年前の3日後は、もうライオンさんが生きていない1年前になります。
5日後になったら、1年前の5日後もまた、ライオンさんが生きていない1年前です。
1か月後になったら、もう1年たったら…何かそういうことを考えることに意味があるでしょうか。
1年経って、かねてより考えていた「ライオンさんの記念碑」コーナーを作ってみることにしました。
作ってみたとはいえ、自分自身まだ心情的に整理が出来たわけではありません。
ライオンさんの面影を思い起こすと、涙が出ます。
去年はこれまた大阪で、それはもう悲惨な戦いを繰り広げていた最中の出来事でした。
4月に区切りをつけて、4ヶ月。私はまだ色々な面で沈み込んでいます。
去年は一度に沢山のことが起こりすぎたのでしょう。
明らかに大きなキズとなっている一つの要因は、この出来事です。
未だに、このことを考えると心が塞ぎます。
私の心は傷だらけです。
信仰も、信じていたものも、信頼も、愛していた人たちも、無茶苦茶で、方向感覚を失って進む道を見失っています。
でも、確かなことには、私は傷を通して深く豊かになっています。
しみったれで、未練がましくて、弱くて、どうしようもない自分を引きずりながら、無様に生きてやろう、ともがいています。
「…真のもてなしのある家に入るなら、間もなく人は、自分たちの心の傷を、絶望や辛さを生み出す源として理解するのでなく、それが語りかける声に従って旅を続けるべきだとういう印として見るようになる。」
「…共有された苦痛は、それが解放への道として理解されるなら、それはもはや人を硬直化させるものではなく、動き出させる。私達は苦痛から逃れる必要はなく、かえって人生を共同で探求するために苦痛を用いることができると気づく時、それらは、絶望を表すものから、希望の印へ変容される。」 ヘンリー・ナウエン