借り物の信仰では戦えない

さらに良いものを求めて、何だかんだと読んだり調べたり聞いたりしてきた。
今までの環境と、違うところに置かれもした。
これがいいと思う方向に歩を進め、しかしながらだからと言って、まったくそこに傾倒するわけでもない。
霊的=常に元気で明るく悩まない、ということでも私はないのだ。
同じものにならないことに苛立たれるとしたら、結果はやはり狭小な仲間内メンタリティと同じ。
私は私の道がある。
私は私の生き方があり、考え方がある。
組織に属していようと、いなかろうと、教会に所属していようとしていなかろうと、ぼっちだろうとなかろうと、自分は自分のカラーを生きる。
その自由があることが嬉しい。
人様の理想像に重なる必要ない。
とんだおせっかいだ。
ぐちぐちねちねちと生きてやる。
根暗街道を歩きとおして信仰者だと豪語する。
相変わらず泣き通しで、と思ったら不意にけろっとしてやる。
弱いんかと思ったら、超絶頑固であることを明らかにする。
不意に、強烈なカウンターを仕掛ける憎らしい奴でいよう。
どんなに立派でも、借り物の信仰なんて身に着ける必要ない。
重いんだから。
自由に動ける格好で、ゴリアテ倒そう。