離任後8ヶ月、信仰の混乱が続く。
えーその後(どの後?)色々ありまして、元気です。
とりあえず、ダイジェストで、前回のTOEFLの試験では、まだ必要な点数に届くことはできませんでした。
あー辛い。
一般的に、1年で20点、30点伸びれば良いほうということで、5月時点で私あと18点だったんですよね。
だから感覚として、恐らく10か月はかかるかもしれないと思いました。5月から勉強を始めたので、11月時点では6か月。ちょっと怪しいか、しかし様子を見るには、そろそろ受けないといけないという感じで受けました。結果9点アップで、まだ9点必要。辛いねー。
で、何だかんだで大学のStudent counselor の方に連絡しまして、とりあえずあとTOEFLのスコアにあと1点足せば出願出来るそうなので、あと1点プラスを目標に頑張っています。
まったく予断許さない状況ですが、自分の人生ですし、周りの方にお世話になりながら出来ること頑張ってみます。6月1日が秋入学の締め切りです。
心情的には早く先々の見通しが立てば、と焦ります。
でも、何だかんだ思ってたら、心の中に「あなたは、私の受ける分を固く保っていてくださいます。」詩篇16:5がよぎりましたよ。
どこが私の受ける分なのか分かりませんけれど、焦ってもしょうがないない。
気楽に行きましょう。
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して、最近の心境ですが、何だか辛かったですね。
身体的にはまったく問題ない、上場です。
しかし、心理的に追いついていない、この辺が何と言いますか妙な時間差が続いています。
これまで所属していたところを離れるというのは、実に大きな精神的ショックを伴うものです。
自らの決断によって、それも反社会的な行動を起こすわけでもないのに、非難されたり無視されたり、ポジションや、信頼を失ったりする、というのはちょっとした、災害です。
いくらこれまで、実績を積み重ね、支持を得ることが出来た部分があったとしても、何かいろいろ自信を失いますね。まるで恥ずかしいことしてるみたい。
物理的に離れたことで、心理的な整理は進んできました。
組織とか関係のあった人とかに対する混乱や怒りね。
でも、もう一つ片付かないものが出てきた。
神様との関係ね。
どういうことか、時間がたてばたつほど、以下のような状況が強化されてきた。
- 全く人に会いたくない。
- 新しいことをしたくない。
- これまでやってきたこともやりたくない。
- 自分の意見を出したくない。
- 自信の喪失。
- 無気力
- ますます内向的になる
それはね、何だかよく考えてみると神様に対して怒ってんのね。
もちろん感謝もしてるんだけど、理解できない部分も沢山あるんですね。
聖書に基づいて、いつも心を励ましてきた。
信じてきた。
耐えてきた、進んできた。
でも、奇跡は起こらないし、海は分かれないし、いくつもいくつも辛いことは起こるわけ。
いいことなんて音も沙汰もない。
調子がいいときは支持されても、物事がうまくいかないときは後ろ指さされ、非難され、マイナス思考になって、もがくけど、何にもうまくいかない。
かっこ悪い状況と自分に耐えないといけない。
神様自分のことなんて忘れたんだろうな、って思う。
状況から関係を図るなんて、当たり前のことでしょう。
睨まれて、意地悪されて、それであなたを愛しています、なんて信じるわけないじゃん、人間関係でも。
それでも信じて信じて相手の善意を信じる、ドメスティックバイオレンスの犠牲者くらいですよ。
教会で聞くメッセージが、裏切りと失望の前準備みたいに思える。
また信じて、また裏切られるのか。
また関係が作られ、またいつか総スカンを食らうのか。
この聖書を信じて、進んで、また苦しみに足を突っ込むのか。
自分は馬鹿なのか?
私はあなたを愛しているとか、決して捨てないとか、それで今は何なんです?
薄っぺらい関係のほうが清々する。バイト先で触れるくらいの利害関係と損得関係の方が気が楽だ。
教会に行く度に、まったく私の悶着には関係ない教会で、知らない人たちなのに、関わられることがしんどい。
相手が良い人だというのが、これまたそれなのに自分はと思って余計に罪責感。
奇跡は起こらない、海は分かれない、毎日の生活の糧を得るので精いっぱい。
金も銀も持ってる神様って誰、とか思う。
信仰と不信感の間で揺れ動く。
で、今日ちょっとある言葉に出会った。なんかそれが、少し方向を変えるきっかけになっているような気がする。
次に書きたいと思う。
あと、ここで次のリハビリをしようと思う。
人間が様々なショックに出会ったとき、ひどいマインドコントロールをかけてくるような団体から出ていくとき、
回復の過程として。
なかなか内向きになっているけど、ここから頑張って心のリハビリしてみます。
出来るだけ外に出るようにする。
それは、心の力を取り戻してきたから、出来ると感じてきたのだと思う。
恥の意識を拭い去って、自信を取り戻して外に出ていく。
何かを得たからじゃない。
リハビリは痛い。
負荷をかける治療法。でも、負荷がかけられるだけ回復したということ。
私は負けない。
どんな場所で、どんな状況だとしても、私は、私には幸せに生きる権利がある。