世の中でキリスト者として出来ること

前の記事で、これまでやっていた仕事の内容とは全く関係のない事をする、みたいなことを書きました。

外面的にはそうですが、実は役立っているところはかなりあります。

 

外で働いてみて、比較して分かったことですが。

 

人によると思うのですが、

① 信徒さんや、人の話を聞く仕事

⇒お客さんのニーズを聞き出すことが出来る

② 人格の修練

⇒他の職場仲間との関係が良好になる

⇒受講生さんから信頼してもらえる⇒成績につながる

③ 説教のテクニック

⇒講座・商品の案内、社内での朝礼、チームでのミーティングなどに。

⇒人前で話すテクニックは結構訓練が必要な技術らしく、すぐに実践に適応可能

 

特に、人の心の動きを理解しようとする能力というのは、思いのほか鍛えられているようですよ、皆様。

 

これは多分、牧会で人の話を聞きますよね、それでその人の問題を一緒に辿っていくわけです。

実際どこに問題を抱えているのか、話している本人も分かっていないこともあって、聞いている私たちも知らないことがあります。

それで、話しながら一緒に考えていきます。

そのうち、こちらは何もしていないけれど、話している本人が自分で答えを見つけて解決することもあります。

 

相手が安心して、穏やかになる会話の仕方を身につけているのですね。

なんか、書くとすごく、卑しい感じしますが。

 

多分カウンセラーの方がしていることと似ているのかもしれません。

 

「どうして、そんなにすぐに仲良くなれるんだ!?」と社員さんに言ってもらってますが、多分これまでの経験に支えられているのだと思います。

 

(因みに、これが短所になり、パソコンの相談が半ば生活のお話を聞く時間になり、逃げられなくなって後でバイト仲間から「もっと早く切り上げんかい!」とか、生徒さんから「横でうるさい」と怒られることもあります…本当にごめんなさい。)

 

イエス様って、一対一で話すときって、静かだなって思うんです。

その人が自分自身で歩き出すことが出来るように手を添えている、そんな感じだなって。

 

まるで水のようにその人の心の形に沿って、魚のように泳ぎ、傷を無くしていく。

 

世の中でキリスト者として生きることが出来る役はいっぱいあるんだなって、思います。