宗教は、人を繋げるものだと思います。
という記事を読みました。
ケニアでイスラム過激派勢力がバスを襲撃した際、テロリストはイスラム教の乗客たちにキリスト教徒から離れるように言ったそうです。しかし、イスラム教徒は「殺すなら一緒に殺せ。そうでないなら放っておけ」と言い、キリスト教徒と分けられるのを拒否したとのこと。
先日テレビを見ていたら、アメ横のイスラム教徒の人が「イスラム過激派をどう思うか」と聞かれたときに、「彼らはイスラム教徒じゃない。人を殺したらいけない。」と話していました。
私は宗教は、人を繋げるものだと思います。
良いものと悪いものを区別して、悪いものを排除しようとする在り方は、逆に人間臭さを感じます。
心の割礼、とかアブラハムの民というのは、異邦人とか、罪とかなんかそういうごちゃごちゃしたものを超えて成り立つ、神様の桁違いの憐みを指すのではないでしょうか。
このバス事件で、イスラム教徒の方のほうから、こんなアクションが出たのはすごいことです。
とても勇気あることです。
私は遠くの国の、関係のない一人かもしれませんが、私も同じようにしたいと思います。
私もイスラム教徒の人から分けられるのを拒否します。
仏教徒でもユダヤ人でも、どこの国の人でも、相手を尊重して生きていきたいです。
場所が変われば自分が差別される側になることだって、あるわけですから。
(ただし、どんなイデオロギーであっても人を悲しませる慣習には反対です。)
宗教は対立を生む原因ではなく、対立を消し去る役目だって出来るんではないでしょうか。
私たちの信じる神が正しいと思うならば、相手が自発的に信じたいと思うような生き方をするのが、信じる者の役割ではないでしょうか。