試験で点が取れなくて、精神的に追い詰められる。

昨日テストの結果が返ってきたのですが、11月時点よりも点が下がってしまいました。

あと3点でした。

 

もうがっかりすぎて、辛いです。

 

勉強した挙句に下がるなんて。

大学のカウンセラーの方は、3月か4月に出願が出来たら望ましいと言われているのですが、もう気力がありません。あと数点が取れません。

 

神様から見放されたんだな、って気持ちです。

きっと、何か私が悪いことをしたからだな、とか、お気に召さないのだな、とか。

 

まだ試験は締め切りまで何回もあるのですが、神様の御心じゃないことに気が付かないといけないのではないかと思うようになってきました。

 

ここ数年の相次ぐ困難を通して、神様が近くにいて下さることは分かるのですが、全然方向性が分かりません。ずっと、神様の沈黙の中に居ます。

 

今日、「神の沈黙」という キーワードで検索していたらヘルムート・ティーリケの詩を見つけました。

まさにこんな沈黙を感じます。気力があれば下手な翻訳でもつけるんですが、元気がないので勘弁してください。

 

“Is not God silent about Stalingrad?

What do we hear above and under its ruins?

Do we not hear the roar of artillery, the tumult of the world and the cries of the dying?

But where is the voice of God?

When we think of God, is it not suddenly so quiet, so terribly quiet, in the witch’s kitchen of this hell, that one can hear a pin drop even though grenades are bursting around us?

There is neither voice nor answer”

(The Silence of God, Helmut Thielicke,[Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1962]).

 

少しいいことがあるとすれば、英語を勉強するようになって、より多くのクリスチャンの記事を理解できるようになったこと。

色々な信仰者の記事を読みながら、神が沈黙するとき…は次の信仰へのステップであるということとか、神が沈黙しているときは、神が動いているときであるとか、色々読むことが出来ました。

 

であるにしても、もう私は神様の沈黙に耐えられそうにない。

 

ひどく辛い。

 

神様の善意を信じながら、それでもまたチャレンジして失望する心の余地がもうない。

これって、何か意味があることなのか。

 

いつかこの痛みが、何かの、誰かの役に立つ日がくるのか、それとも私が何か罪を犯したからか。

聞いたことのあるような問いが頭をぐるぐる回る。

 

 

それでも、それでもです、来月の試験に向けて、力を振り絞って頑張ってみます。

しょんぼりしてたってしょうがないからね。