覚悟はあるか
性格なんていつでも変えられると思ってた。
カメレオンみたいに、意志さえすればどうにでも変われるもんだって。
でも気が付いたら、いやはやどうして。
楽に生きたいね、
責任なんか持たないで、
何も決めつけないで、
責められることもなく、
非難されることもなく、
裏方でいい
地味でいい
その他大勢で、
エキストラで、
セリフもない、木の役。
そんなのがいいって、思うようになった。
あぁ、なんかでもそうもいかない。
何かから逃げているって、分かってる。
苦労したくない。
責められたくない。
決めつけたくない。
人生の荒波、ご免こうむりたい。
神様、そういう大波は、どこかのヒーローにあげてください。
信仰の勇者とか、立派な信仰の人とか、あなたを信じて揺れ動かない人とか、
熱い人とか、きよいひととかなんかそういうかんじのひとにあげてください。
私はいい。
自分が弱いってわかってるから。
疑い深い、doubtingトマスなんだから。
人のお手本になんかなれない、なりっこない。
分かってる、ずっと分かってる。
足を突っ張った馬みたいに、散歩拒否の犬みたいに、絶対これ以上前に行くもんかって、
引きずられてきた。
引きずってしまった。
一体今でもなお、逃げ回ろうとする自分がいる。
あぁ、そうだね、きっと逃げ回ってるモーセみたいなもんだね。
考えてみてごらん、自分に役が与えられるって、想像できるかい。
少なくとも、自分の人生のリーダーとして、敵と戦ったり、非難されたり、決断したり、神様と一対一で生きて行ったり、
あぁ、いや逆に、これまで考えてこなかったの?って。
自分はね、19まで普通の日本人文化で生きてきた。
だから、どこまでも異邦人感覚なの。
いつでも逃げ出してやるって、へっぴり腰。
決心が付かない。
私は違う。
強くない。
悩むし、意気地がない。
覚悟が覚悟が覚悟が、ない。
でも、あぁ、ならなければいけないのか、
神様の前に、成長していくっていうのは、空気みたいな存在でいるわけにはいかなくて、逃げ回っているわけにはいかなくて、
隠れられなくて、
与えられた役割に向き合わなくてはいけない。
自分が自分をどう考えるとかではなくて、
自分が考える自分の適性がどうかじゃなくて、
与えられる道を進んでいく。それが、どんな道であっても。
覚悟が覚悟が覚悟がない。
堂々巡りしながら、
失敗を繰り返しながら、人を泣かせながら、涙を流しながら、擦り切れた自尊心を引きずって、前に立つ。
それが自分だということを受け止める。
逃げ隠れしない。
一人の、重要な登場人物として、信仰者として、歩くんだ。
神様から与えられた役割を、
引き受ける覚悟があるか。