TOEFLの点が取れなくて、諦めようかと思った時

礼拝に行く。

試験の結果を、主任牧師のT先生に報告、というよりも、先生の方から尋ねて来られた。

 

「どうでした?」

との問いかけに、思わず

「もうやめようかと思いまして」と言ってしまった。

 

「えっ?」

「もう、諦めようかと…出願までまだチャンスはありますが…疲れました。

もう、無理なんです。」と。

 

T先生が何か考えながら、ぼそぼそと言った。

「僕は霊的形成というテーマに取り組んで、今あちこちで教えたり…自分も学んでいる。

これまでの…勉強してこられた先生方が、居なくなる時が来るだろう。

その先生方が形成してきた、霊的形成の時代が過ぎて、誰かがやらなきゃいけない時が来る。

誰かがやらないといけない。

そして今、逆に人手が益々無くなっている。むしろ、もっと大変になると言っていいほどだ。

僕は…勉強してきて欲しいな。

与えられたビジョンを、せっかくもらったビジョンを大切に。

あなたがやろうとしている分野は、マネジメントの分野は、勉強している人がいない。

誰かが、やらないといけないんだ。

僕は、それが神さまの御心じゃないかと思ってる。

諦めなきゃいけないタイミング、も確かに考えないといけないかもしれない。

でも、その、いまいま急いで家業を継がなければならないとか、そういうことでもないのなら…。」

 

そう言えば、先生は今の大学院の勉強を始めるときに、霊的リーダーシップ論と霊的形成を踏まえた指導法を学びたいって言ってたっけな。

 

それを踏まえたうえでの、指導って、何か違うな。

 

私はかつての組織で、進学の希望を話したら、袋叩きのような目に遭った。

相手にされず、鼻で笑われ、冷たい目線を向けられたものだった。

役に立たない、異端的、不必要であるとか、まぁ色々あった。

 

どうして、こんなに対応が違うのだろうな。

 

 

 

カウンセリングだったら、私の気持ちとか、現状とかを考えるだろうな。

 

でも、霊的な、リーダーシップの視点から見たら、神さまの視点から、考えるだろうな。

 

かつては私もミッションの視点から考えていたけれど、そう考える力も無くなってしまった。

苦難、失望、挫折、苦難、失望、挫折、果てしない逆境の山々…。

 

水とパンが欲しいといったのに、不安という蛇と、失望の石を与えられた。

 

それでも、頑張ってみる価値があるだろうか。

 

少なくとも今日は、霊的な面から日本の状態を眺める、という視点に触れさせてもらって、今日はとても新鮮だった。