京都の休日 ―鷹峯(たかがみね)コース
行って~きました京都、鷹峯(たかがみね)コース。
京都市北西、北山の麓のエリアです。
丸一日お出かけしました。いやーこんなのんびりした気持ちで行ったの久しぶりだわ。
これまではずっと頭のどこかで、試験どうにかせな、って考えてたからね。
因みに、今朝確認したところ、やっと出願書類の最後の一つがようやく大学に届いたみたいです。
合否はこれからです。何はともあれ、あぁ、お疲れ様でした。
今日はゆっくり休みましょう。
で、朝までどこに行くか決めてなかったので、カメラも持たずに出てきた(写真はすべてスマホ撮影)。
朝駅についてから、観光ガイドを開いて、まだ行ったことのないエリアに行くか、ということで鷹峯へ。
バスに揺られて、のんびり一人旅。いいね~。
で、結論からなのですが、すっごい良かったです!!鷹峯コース、いい!京都に来たら、是非ともおすすめです。
順路としては、
しょうざんリゾート庭園⇒光悦寺⇒源光庵
⇒正伝寺⇒神光院、です。
■ 高峰コース良かった点
その① 人が少ない
ゴールデンウィーク真っ只中にも関わらず、人はまばら。いないというわけではないけれども、嵐山や清水寺に比べたら、もう静寂そのもの。
多分、鷹峯はメジャーなコースではないし、駅から遠くアクセスが不便なので、観光候補地としては選ばれにくいのだと思う。また、山際にあるため、修学旅行客や団体客を収容できるスペースがないというのも、功を奏しているのだと思う。
その② 自然豊か
ずっと山裾の高いところを歩いている感じでした。どこに出ても、美しい渓流が流れ、清水の音や、鳥の声、風の音、マイナスイオン満載です。本当に静かな山の中に来たような感じで、安らぎます。
その③ 好きなだけ、庭を静かに楽しめます
庭巡りがすっかり楽しみになりました。場所によっては、ところてん式のように、単にコースを歩いて、出るだけ、というところもあります。座る所もない、みたいな。
しかし、今日行った所は、庭を眺める空間がしっかりあって、気が済むまで庭を味わうことが出来ました。
というわけで、今日行った中でもお勧めの場所をご紹介。
1. しょうざんリゾート庭園

鷹峯一帯は、江戸時代に活躍した文化人、本阿弥光悦が徳川家康から、このあたりの土地を拝領し、一大芸術村を開いたことに始まるそうです。
その光悦にちなんで作られた「しょうざん光悦芸術村」という、レジャー施設があります。
何だか人工っぽいのですが、よく自然と溶け込んだ造りになっています。
その中の一角にあるしょうざんリゾート庭園。
新緑のころで、タイミングが良かったのか、とにかく苔がモフモフでした。こんな立派な苔、そう多くの場所で見ることはできません。山裾で、年中湿気があり、涼しいのがいいのかもしれません。
トトロが乗ってそうなくらい、モッフモフでした。
杉苔の厚みがすごい。
恐らく、紅葉のころも相当奇麗になるはずです。
② 源光庵
「そうだ、京都行こう」のキャッチフレーズで有名なポスターに掲載されているお寺です。
左が「禅と円通」の心をあらわす「悟りの窓」
右が生老病死の四苦八苦を表現している「迷いの窓」
風が強い日で、木々のざわめきを聞きながら、二つの窓を眺めるのは何とも、感慨深い時間です。
自分の心と語る庭。
いいですねー。

源光庵と言いますと、もう一つ有名なのが、こちら、本堂内にある伏見城の遺構、「血天井」。
秀吉の死から2年後の1600年、徳川家康が上杉景勝の征伐のため会津に向かいます。その間に石田三成が挙兵。関ヶ原の戦いの幕開けとなります。
石田勢は手始めに家康不在の伏見城へ攻め込むのですが、その時伏見城に残されていたのは家康の忠臣、鳥居元忠等1800人余り。13日間よく耐え抜いたらしいのですが、全滅します。
タクシーの運転手さんの解説によりますと、それから家康が伏見城に帰ってくるまでに2か月かかった。その間に、合戦の時に流れた家臣たちの血が床板に染み付いて、いくら拭いても取れなくなった。
鳥居元忠、及び忠臣らの菩提を弔うために、その床板は各地の寺へ送られたのですが、板を下に敷いてしまうのは、失礼。それで天井になった、のだそうです。
これ、よく見るとですね、血の手形や、足形がはっきりと確認できます。場所によっては顔の形も分かるそうです。
この天井を上にして、悟りの窓と、迷いの窓を眺める本堂。
戦国時代、「武士道とは死ぬことと見つけたり」。
サバイバルだなー…。
どう生きて、どう死ぬか、故人生きざまに思いを馳せます。
③ 正伝寺
正伝寺の庭、比叡山を借景にした枯山水、「獅子の子渡し」の庭と呼ばれているそうです。
ここもよかったです。空が広くて、開放感があります。トンビが空を横切っていく様を見ながら、風の音に耳を澄ませます。
戦争の時も、現代も、ここではこうやって、何事もないかのように雲が流れていく。
場所にもよりますが、庭というのは、そんなに広さは必要はないんですね。
広く見えるように工夫はしてあります(遠近法になるよう、塀や庭木の高さ、角度が工夫してあります)。
見せるところが決められていて、でもその中に空白がある、という感じです。
見る人が自由に考える、感じる、そんな世界を提供する、問いかける、それが庭の面白さとでも言いましょうか。何もないようでいて、作った人の問いかけがあるんです。
いつでも自由に庭から目を離すこともできます。でも、向かい合えば、また問答が始まります。
まぁ、本当に、なんというのか禅問答のような世界です。あると言えば無くなり、無いと言えばある。
スティーブジョブズが、禅を好んだそうですが、なんか意味が分かりますね。
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