愛するということ
私にとって、愛するということ。
それは寄り添うということ。
相手を大事にするということ。
相手をどこまでも信じ続けるということ。
それが、私がしてきてもらったこと。
自分には、愛するということの訓練が、まだまだ必要。
だって、自分は未だに一人者だし、家族に忍耐するということもない。
何だかんだ言っても、これまでの任地は中継ぎ的なポジションだった。
すごく自由度が高い。
でも、愛するというのは、忍耐が必要な仕事。
私は長く寄り添ってもらった。
元々束縛が嫌いだから、私のペースで無理がないように。
大分、やりたい放題だった。
とても大事にしてもらった。
赤の他人なのに、着るものも、食べるものも、とても良い物を与えてもらった。
そして、信じてもらった。
病気で立ち上がれなくなったときも、怒り狂っている時も、神さまに盛大に文句を言っている時も、わがままなときも、何かとんでもない方向にいる時も。
神さまにそうしてもらった。恩師にそうしてもらった。お世話になった人たちにもしてもらった。
あまり、器用でないから、見えにくいかもしれないけど、自分もそうしていきたい。
何も言えなくても、寄り添っていること、
相手を信じ続けること、
小さなことでも、助けられることをすること。
出来る限りのことをすること。
相手に好意を持って接すること。
相手の考えを聞くこと。相手のペースを大切にすること。
思い込みで話さないこと。
信じること。
相手に神さまの祝福が注がれていることを、見させてもらいながら、
その人がそこにいることを、喜ぶこと。
私にとって、愛するということ。