スピリチュアル・フォーメーションとかいう、Mな人々。

数日前までののたうち回りが、嘘のように元気になってしまったので、何か書いてみることにしました。書かないと、また、何が起こるか分からないので。
今ワードプレスもちょこちょこいじりながら、もう少しわかりやすくするためには、タイトルとか、記事のまとめ方を変えないといけないと思うんですよね。
サイトの引っ越しになるので、結構大掛かりで…年末はこちらに居ることにしたので、そのときに一気にやってしまおうかと思っています。
我ながら。
はい、で、タイトルも内容もますます怪しい。
いいよね、もういいよね、好き放題じゃないと、書けないから。
シリーズで、TALBOT(神学科)のコースの紹介をそのうちしたいですね。
CROWELL、ビジネスはちょっとしたね。あれはでも、神学科ではないのね。
マスターコース(大学院)過程の中の一つに、Master of Spiritual Formation、というコースがあります。
日本語にすると霊的形成ですね。
日本でも最近ちらりほらりと耳にすることもあるような。
この分野でよく耳にするのが、ダラス・ウィラードですね。なるほどろん。
スピリチュアル・フォーメーションの生徒さんによりますと、分野としては最近、恐らく2,30年位前から形成され始めたものらしいですね。
生徒さんの、分かりやすい説明を引用しますと、
「クリスチャンだと言いながら、ぜんぜん成長が伴わない人たちに対して、それじゃだめでしょ、ちゃんと霊的な成長をしましょうね、という学問」だそうです。
プロテスタントの学問領域の中では、新しいのですが、霊的修練の取り組みとしては非常に長い歴史があります。カトリックに見られる、黙想や、沈黙して、神を待つ、というような姿勢は、霊的形成の修練の中心部分につながってくるようですね。
それで、ヘンリー・ナウエンも、内向的な自己修練という方向性で注目されてきているようです。
で、また書きたいと思うのですが、必須授業で私スピリチュアル・フォーメーションのクラスを受けております。
必須なんですよ。バイオラの修士課程の人間は、哲学でも、言語学でも、弁証学でも、リーダーシップ学でも、皆取らないといけないんです。しかも3セメスター。3学期分、とでも言いましょうか。
そして、必須で修養会行ってきました。大学の授業で、2泊3日必須の修養会。流石ですな。
内容、死ぬほどハードだった。一日10時間近いほぼぶっ続けの精神労働。
で、この修養会で、スピリチュアル・フォーメーションというものが、どんなことを扱うのか、何をするのかということを、見せてもらったのです。
えーと、霊性の、本当にカウンセリングバージョンですね。
心理学のカウンセリングを霊的分野で受けていると思うと、イメージしやすいかと思います。
学生10人辺に、リーダーが割り振られて、小グループ単位でこれから活動していくことになるのですが、ここに一人スピリチュアル・ディレクター、というリーダーが付きます。
スピリチュアル・フォーメーションを勉強する人たちというのは、このスピリチュアル・ディレクターになっていく人達なのです。
霊性のカウンセラーといった具合です。
それで、やることというと、カウンセラーみたいに、その人の抱えているこんがらかった所を、読み解いて、ケアしていくお仕事なんですな。
スピリチュアル・フォーメーションの生徒さんに話を聞くと、この科目では、ひたすら自分を内向的に観察することを求められる。それは、まず自分をよく知らなければ、人の心を扱うことなど出来ないから、だそうです。
「もう、鬱になりそう。学年が進むごとに、フラフラしてくるよ。いつも泣かされるよ。」
だそうです。
オソロシイ。
個人的な痛みや悲しみや、どんどん掘り下げていくので、人によっては、オープンにしたくないという人も居ました。私のグループの中では。
そんな人は、スピリチュアル・フォーメーション専攻の学生の中にいないのか聞いてみた所、
「皆分かってて、このコースを取るんだから、そういう人はいないと思う。」
とのこと。
私は専攻が違うので、必須科目だけで、自分の専門のコースになりますが、とてつもないコースもあるもんだと思いました。
でも、この分野の働き人、本当に必要だなーと思います。幸い、心理学系に造形の深いクリスチャンの方々、沢山日本におりますので、そういう方々に、この訓練を受けてもらえたら、きっと日本での霊的なサポートの質が格段に上がると思います。ふむふむ。
私は、こういう分野ではないみたいなんですよね。
スピリチュアル・フォーメーションの方々、本当に尊敬します。
…私から見たら、自分の痛みを見つけて泣いて喜んでる、変な人達に見えないでもないですが…。
(Mだよね、打たれて喜ぶ人たちだよね)。