松蔭の見なかったアメリカ
何というのか、時々、どうしてここにいるんだろうと、思う時があります。
どうして、ってそりゃあ、自分が望んだからに他ならないのですけれども、
通ってきた長い長い道のりを振り返ると、不思議な感慨があります。
私の机の前には、いつも吉田松陰の言葉が貼ってあります。
心のなかでは松陰先生と、呼んでいます(笑)。
もちろん、私の師匠はイエス・キリストです。それにしても、吉田松陰の思想には、10代の頃から影響を受けてきました。
私が机の前に貼っている言葉は、
まだTOEFLの点数が出なくて、苦しんでいたとき、ちらりとこの言葉を見て、アメリカに行きたいと思いました。それは、吉田松陰が見なかった世界を、この目で見たいと思ったんですね。
吉田松陰はアメリカに密航しようとして、捕縛され処刑されました。
彼が見なかった先を、思いを続けてみたいと思ったんですね。
身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
有名な辞世の句です。
この身はたとえ、この武蔵野で死んで朽ち果てようとも、
私のこの思想は、これからも生きつづけることだろう
というような意味です。
たとえ、この場所で志半ばに命が絶たれるとしても、私の後には、私の意思を継いでくれる人たちが出てくるだろう、と。
彼は何を良くしようとしていたのか、きっと、幕府とか、政府とか、社会とか、日本とか、なにかそういう小さな枠を越えて、より良い世界へと突き進んでいたのでしょう。
そんな吉田松陰は享年29歳。
私はとっくに彼の年齢を越えてしまいました( ゚д゚ )。
部屋でぼんやりとしながら、見ていてください、松陰先生、
あなたの意思が決して無駄になっていないって、私も何かをしますから。
そして、私の先を、また次の人達が、見てくれるように、
頑張りますから、と言っています。
松蔭の見なかったアメリカ、松蔭の見なかったその先を、未来を、私もまた夢見て、
格好悪い生き様を積み重ねるのです。
オススメ: 吉田松陰というと、弟子たちに向けて書いた『留魂録』かな。