松蔭の見なかったアメリカ

 何というのか、時々、どうしてここにいるんだろうと、思う時があります。

 

どうして、ってそりゃあ、自分が望んだからに他ならないのですけれども、

通ってきた長い長い道のりを振り返ると、不思議な感慨があります。

 

私の机の前には、いつも吉田松陰の言葉が貼ってあります。

心のなかでは松陰先生と、呼んでいます(笑)。

もちろん、私の師匠はイエス・キリストです。それにしても、吉田松陰の思想には、10代の頃から影響を受けてきました。

 

私が机の前に貼っている言葉は、

 

 

且偸目前安

百年一瞬耳

君子勿素餐 

 

というものです。

 

目先の安楽は一時しのぎと知れ

百年の時は一瞬にすぎない

君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ

 

という意味です。

■ 最近買った本はこれ。

150年も前に、自分が生きる意味を、その時代に生きる意味を、そして社会に貢献する意思を、限られた人生の中で必死に考えていた人なのだと思います。

 

まだTOEFLの点数が出なくて、苦しんでいたとき、ちらりとこの言葉を見て、アメリカに行きたいと思いました。それは、吉田松陰が見なかった世界を、この目で見たいと思ったんですね。

 

吉田松陰はアメリカに密航しようとして、捕縛され処刑されました。

彼が見なかった先を、思いを続けてみたいと思ったんですね。

 

 

身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも

留め置かまし 大和魂

 

有名な辞世の句です。

 

この身はたとえ、この武蔵野で死んで朽ち果てようとも、

私のこの思想は、これからも生きつづけることだろう

 

というような意味です。

 

たとえ、この場所で志半ばに命が絶たれるとしても、私の後には、私の意思を継いでくれる人たちが出てくるだろう、と。

 

彼は何を良くしようとしていたのか、きっと、幕府とか、政府とか、社会とか、日本とか、なにかそういう小さな枠を越えて、より良い世界へと突き進んでいたのでしょう。

 

そんな吉田松陰は享年29歳。

 

私はとっくに彼の年齢を越えてしまいました( ゚д゚ )。

 

部屋でぼんやりとしながら、見ていてください、松陰先生、

あなたの意思が決して無駄になっていないって、私も何かをしますから。

そして、私の先を、また次の人達が、見てくれるように、

頑張りますから、と言っています。

 

松蔭の見なかったアメリカ、松蔭の見なかったその先を、未来を、私もまた夢見て、

 

格好悪い生き様を積み重ねるのです。

 


オススメ: 吉田松陰というと、弟子たちに向けて書いた『留魂録』かな。