スピリチュアル・フォーメーションの聞く技術3(まとめ)

はい、お疲れ様でーす。

気がついたら、日付が変わってしまいました。

なんかね、こちらに来てからというもの、時間が過ぎるのが早くて早くて。

 

今日は、スピリチュアル・フォーメーションの聞く技術、2回やってきたので、改めてまとめてみようかなと思いました。

配られたプリントのPDFデーターと、私が訳したデーター、ダウンロードも出来るようにしてみました。何か参考になれば使って下さい。

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翻訳は意訳なので、もっといい役があれば、適当に直して使って下さい。

日本語版は、わかりやすいように番号を振りました。

 

で、改めて全文つなげてみました。

ちょっと、後半の方補足します。


 

Listening and reflective skills

(傾聴と応答の技術

Drew Hazen, M.A. Spiritual Formation and Soul Care

 

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい

ローマ12:15

 

1.    機密

①    グループ内で共有される内容は個人的にプライベートな情報であり、とてもデリケートな問題です
②    メンバーは、各個人が共有する内容に対して、プライバシーを守り、安心して問題を共有できる空間を作るよう、配慮すること

 

2.    傾聴:配慮と共

①    関心を持って聞くこと。話している相手を尊敬し、敬意を払うこと
②    相手に視線を向けるこ
③    共感しながら聞くこと:以下のような点を考えながら聞くように

a.     相手の話の中で、どのような点が重要なポイントなのか
b.    相手の置かれている、環境、考え、感情を理解することによって、共感することが出来る
c.     あなた自身が、相手の立場に立った場合、どのような状態になるか、イメージする
d.    相手は共有している出来事の中で、どのように喜びや、痛み、希望、失望を味わったか
e.    相手の話に対して、自分の心がどのような印象を受けたのか、内省する

 

3.    応答:黙

①    話し手が共有した経験・出来事について静かに考える
②    聖霊が何を語りかけてきているか、黙想する

a.     イメージ、聖句、言
b.    共感と励まし

③ 話し手の話に対してて、どのような感情、情景が呼び起こされたか

 

4.    応答と励まし

①    黙想、もしくは話し手が話している間に聖霊によって与えられた印象を共有する
②    共感する、相手の痛みを理解する気持ちで反応する
  (キリストが人々に対して憐れみ(compassion)をもって接していたことを心に留めること
③    話し手の痛みは、聞き手自身の人生に起きた出来事を思い出させることがあります
a.     人の話を聞いているときに、聞き手は自分自身の体験について話し出す時があります
b.    しかし、誰かが話しているときに、自分自身の話をすることは、グループの注意を、話し手が共有している話題から、自分自身に向けてしまうことになります
c.     相手の話に集中するように
④    話し手を自分自身の視点から励まそうとしないこDo not be prescriptive with your encouragements.)
a.     指示ではなく、共感の気持ちを示すこと
b.    話し手を正そうとしないこと。他者の苦しみや涙は、私達にとって居心地の悪いものです。そのため、私たちは自分自身の居心地の悪さを解消しようとして、相手を正そうとたり、アドバイスしようとします
c.     苦しんでいる人に対して、私達が出来る最大の贈り物は、私達の存在であり、共感すことです

⑤    神が話し手に対して何をされようとしているか、共有す
a.     神はどのようにして話し手を成長させ、恵みを与えようとしているか
b.    神はその人に、その経験を通してどのような特性や徳、御霊の実、を与えようとしていか。パウロは、しばしば書簡の始めで教会に対して励ましを送っている
c.     神の国のために、神はどのようにそれらを用いようとしておられるか
d.    話し手が共有した環境や出来事の中に、神の臨在があり、神が働いておられることをめる

 

4番以降の補足。


4.    応答と励まし

③    話し手の痛みは、聞き手自身の人生に起きた出来事を思い出させることがあります
a.     人の話を聞いているときに、聞き手は自分自身の体験について話し出す時があります
b.    しかし、誰かが話しているときに、自分自身の話をすることは、グループの注意を、話し手が共有している話題から、自分自身に向けてしまうことになります
c.     相手の話に集中するように


 

スピリチュアル・フォーメーションのクラスは、3セメスター、同じグループメンバーで続きます。週に一回の授業の後に、1時間程度、グループで集まって、グループリーダーを中心に、互いの霊的な課題を話し合います。そして、1セメスターに一回は、同じメンバーで泊りがけの研修会に行きます。

 

そういうわけで、互いの状況を共有する場面が沢山あるのですが、そのような場面で皆が注意するべきこととして、このプリントが配られました。

 

即ち、クリスチャンが集まって話をすると、このプリントに書いてあるようなことが起きるので、この授業ではそれをしないように、という注意点が書いてあるのです。

 

よくあるのが、誰かが話しているときに、別の人が自分の話を始めてしまって、その人の話題になってしまう、というパターン。

メンバーの注意を話している人から逸してしまうことがないように、「c.     相手の話に集中するように。」と注意が書いてあります。

 


 

④    話し手を自分自身の視点から励まそうとしないこ Do not be prescriptive with your encouragements.)
a.     指示ではなく、共感の気持ちを示すこと
b.    話し手を正そうとしないこと。他者の苦しみや涙は、私達にとって居心地の悪いもので す。そのため、私たちは自分自身の居心地の悪さを解消しようとして、相手を正そうとたり、アドバイスしようとします
c.     苦しんでいる人に対して、私達が出来る最大の贈り物は、私達の存在であり、共感すことです


更に、重要なポイントは④かも知れません。

 

「励まそうとしないこと」

 

意外です。

そう、苦しんでいる人にとっては、指示よりも、共感してくれることのほうが、よっぽど励ましになるのです。共感しても、何の解決にもならないと思うかもしれませんが、共感とは相手の中にある力を信じてあげることなのかもしれません。誰かが指示をしなくても、その人の中には回復していく力があるのです。

実際、指示をしたところで、何の解決にもならないケースの方が多いのではないでしょうか。

例えば、私達自身が、指示する側ではなく、指図される側だとしたら。

 

プライドが、燃え上がってくる人…そう、それが、「好意」の励ましが意味がない、という証拠です。

あなたがそう感じるなら、他の人もそう感じるわけです。

どうして、私達がいつも励ます側で、他の人が励まされる側だと…。

キリスト者の関係というものは、相互に働くものであり、上下ではないのです。

キリストが意図する関係性というものは、一方的なものはありません。

体の各器官は相互に繋がり合い、作用し合い、

小さな子供に私たちは学ぶのです。

寡婦の貧しさに学び、異邦人の熱心さに心打たれ、娼婦の涙に足を拭われるキリストです。

 

だから…。

 

④には、もう一つ深い指摘があります。

 

「b.    話し手を正そうとしないこと。他者の苦しみや涙は、私達にとって居心地の悪いもので す。そのため、私たちは自分自身の居心地の悪さを解消しようとして、相手を正そうとたり、アドバイスしようとします。」

 

そう、アドバイスをしようとするその人は、実はその人の居心地の悪さを解決しようとしているかも知れません。

信仰者の苦しみは、魂の闇夜を意味します、涙や怒りは不信仰の現れだと、思うのかもしれません。何か解決を与えなければ、と焦る人は、逆境は神の不在を、失望は神の無能さを、露呈すると恐れているのかも知れません。

 

相手をなんとかしてあげなければ、と思いながら、実は自分のセオリーが崩されないように、信仰の破れ目を否定しているのです。

 

しかし、もしも、私達が魂の暗闇に目を向けるなら、破れ目の先を見るなら、暗闇の先に更に豊かな神の恵みが広がっていることを、発見すると思うのです。

 

静かに、相手の苦しみに耳を傾けてあげること、共感してあげることは、相手の魂の旅路を共にすることです。


 

⑤    神が話し手に対して何をされようとしているか、共有す
a.     神はどのようにして話し手を成長させ、恵みを与えようとしているか
b.    神はその人に、その経験を通してどのような特性や徳、御霊の実、を与えようとしていか。パウロは、しばしば書簡の始めで教会に対して励ましを送っている
c.     神の国のために、神はどのようにそれらを用いようとしておられるか
d.    話し手が共有した環境や出来事の中に、神の臨在があり、神が働いておられることをめる


⑤番、これはクリスチャンのリーダーシップの在り方にも共通します。

即ち、相手に可能性を見続けるということです。

キリスト者であるということは、可能性が相手の中にある、ということを信じることにとどまらず、たとえ相手がどんな苦しみの中にあるとしても、彼、彼女はきっと立ち上がり、神の恵みを運ぶ器になる、という視点で、見守り、期待することです。

きっと、神さまはそんな視点で、一人一人の信仰者を見ているでしょう。

だから、私達も、その視点を身につけるように、招かれていると思うのです。

 

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リーダーの視点、は、リーダーシップサミットに参加したときに聞いた説教の中で、学びました。

(誰だったか、忘れてしまったのですが。)

 

本当に、これは大事な視点です。

私は人のケアをするときは、失望しているなどと、微塵も感じさせないことを心がけています。

相手に、少しでもそんなことを感じさせるようなら、プロ失格だと思っています。

 

私がやるべきことは、メンバーを選別することではなく、つなげていくことなのです。

リーダーがやることは、他者のあら捜しや、切り捨てではありません。

 

とても、忍耐がいる仕事です。

だから、リーダーには、牧者には…共同体の視点が必要だと思うのです。

 

自分一人が満足する生き方では、誰かを切り捨ててしまうのです。

 

迷わない、悩まない、失望しない、

 

弱さは排除され…

 

人はそれが「強い」信仰だと言うかもしれません。

 

 

弱さのない組織は、強い組織ではありません。

 

それは、脆い組織です。