スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング手法4 罪と恥と

神さまに、忙しくて記事は書けません、と言っていたのに、熱を出し、お叱りを受け、記事書きを再開すること、1週間。
毎晩12時過ぎから書き始めているのに、まだ元気である不思議(今は2時だよ)。
病気で何も出来ない時間が増えるくらいだったら、書く方がマシかと思い、書き続ける。
これから先の内容は書こうかどうか迷った。読んでて辛くなりそうだから。
と、いう気持ちがあったから、踏ん切りがつかずに、記事が途切れた。
でも、私の転換地点になったことだから、ここを抜きにして、元気になった過程を書いても意味がない。
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ところで、話を進める前に、私は根暗です。
以前私のホームページを見た人から、内容が過激だとか、読んでて暗い気持ちになるとか、言われたことがありました。
ので、そういう方は見ないで下さい。
私は人を悲しませるために、書いているわけじゃないんです。
自分を知って欲しいわけでもありません。
自分がやりたいことをやってるだけで、読まなければいい話ですから。
例えどう見えていようと、私は私らしい記事しか書きません(書けません)。
誰ぞの基準に沿って生きるような俺様ではないわ!!!!
って聞こえたような気がする、カッコウ。
まぁ、こうやって、ためらっていたら、神さまの励ましで再開・継続中ですから、これで行けってことでしょう。
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というわけで、進めます。
果たして覚えてらっしゃるか、リトリート2日目になりました。
⇒参考:スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング手法 1
巨大松ぼっくり拾ってる日です(平和だな)。
お昼ごはんの時間になったので、それぞれ黙想の時間を終えて、Hilltopに帰ります。

昼食が終わると、一同広く円になって、互いに考えたこと、感じたことを共有する時間です。
このときにベースとなるのが、先日ご紹介した「傾聴と共感の技術」というプリントです。
⇒参考 スピリチュアル・フォーメーションの聞く技術 3 まとめ
まず、誰かが話を始めます。
自分の生きてきた人生の中で神さまの助けが必要な所はどこか…、祈りを必要としているところはどこか。キリスト者としての成長を阻害する、心の中の深い苦しみは何か。
宿題が終わりません、とかそういうことではありません。
本当は、私が下手に説明するよりも、実際に共有されたことを書いたほうが良いのですが、それこそプライバシーの問題で、難しいです。
その…、難しいレベルの問題だということです。
罪に関わる問題は、より深刻さが増します。
でも、なぜなのでしょう、人が苦しみながら、自分のやってきた罪を告白する姿は、…勇敢です。
誰もその人を非難しないし、仲間として受け入れていきます。
この点で、一番魅せてくれたのは、一人の韓国人の男の子でしたね。
20代の中ばで、そんな重い十字架背負って、どうやって彼は生きてきたのか、生きていくのか。
彼は神学修士(Mdiv)の学生です。学べば学ぶほど、罪は心に食い込むはずです。
多分、それをさせないための、このクラスであり、リトリートなのです。
自分を知ることが、神を知ることだ、というスタンスですから。
そうやって、治療していくわけです。クリスチャンとして、歪みがないように。
流れとしては、一人一人、
1. 自分の課題を話します
2. 暫く全員で黙想(5分位)
3. どんな印象を、その話から受け取ったか、他のメンバーが一言で伝えていきます。
4. リーダーが少し質問します
5. 話した人のために、誰かが祈ります。
こんな感じです。特段、変わったことはないように見えますが、これ一人40分~1時間程かかります。
これを参加者全て、一人一人やっていきます。参加者8人でしたからお昼に始まって、終わったの夜の10時半でした。
途中夕食をはさみますが、夕食後も試合続行です。
凄まじい精神労働です。特に私英語力が足りませんから、人の深刻な話理解するのに、余計集中力が必要です。
この中で、面白いのは「3. どんな印象を、その話から受け取ったか、他のメンバーが一言で伝えていく」ところです。
「傾聴の技術」の4.4覚えてますでしょうか。
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4.応答と励まし
4 話し手を自分自身の視点から励まそうとしないこと(Do not be prescriptive with your encouragements.)
- 指示ではなく、共感の気持ちを示すこと。
- 話し手を正そうとしないこと。他者の苦しみや涙は、私達にとって居心地の悪いもので す。そのため、私たちは自分自身の居心地の悪さを解消しようとして、相手を正そうとしたり、アドバイスしようとします。
- 苦しんでいる人に対して、私達が出来る最大の贈り物は、私達の存在であり、共感することです。
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どうにかしてあげたい、という気持ちが出ると、どうしても「アドバイス」を始めます。
参加者の殆どが教会で奉仕をしている、教会のリーダー達ですから、教える立場の人たちなので、その傾向性もひとしおです。
ある学生の話のときに、別の学生が「イエスさまは、罪のために死なれたのだから、君はその問題を十字架につけて…」と話し始めました。
すると即座にリーダーから制止されました。
「ストップ!説教は要らないよ。」と。
このような場面が何回かありました。それも、結構厳しく言います。
へぇ、なるほど、と学ぶわけです。
スピリチュアル・フォーメーションの指導とはこうするものなのか、と。
リーダーは、何もしていないようで、ちゃんと一定の方針に従って、指導しているわけです。
1から5の流れは、もう少し詳しく、次の記事で私のケースを通してご紹介しようかと思います。
それでは、お休みなさい、今は夜中の3時です。
うへーい。