スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング手法6  逃走

******前回からの続き*******

 

① 自分の課題を話す  の途中。

 

「だれがアルコール中毒なの?」

 

「父です。」

 

「あなたが何歳の時から?」

「えーっと…生まれる前からですね。」

 

「そう…続けて。」

 

「アルコール中毒の家庭で育った子供は、感情を消します。

感情を持つことは、辛いことなんです。

何か約束しても、果たされることはありません。

なにか約束して、楽しみにしても、次の日には忘れます。

ある日は機嫌が良くても、次の時には怒られます。

何も一貫性はありません。…だから、何も感じない方が楽なんです。

喜びもしないし、悲しみもしない。

期待もしない。

 

皮肉なことに、本来最も親密な関係を持つべき人間関係において、学んだことは、

信用しない、ということでした。」

 

 

「お母さんは?」

 

「家事が嫌いで、家にはほとんど居ませんでした。」

 

「まぁ…」

 

「家の中は滅茶苦茶で、食べるものがなくて…弟と生き延びていました。

 

…でも、何かその、そういうことは、信仰を持ったら全て忘れていたんです。

本当に、思い出すこともなかったんです。

だから、私はとっくに、過去のことはもう克服したと信じ切っていました。

 

環境が、そっくりだったんです。その、以前働いていた教会での環境が、私が逃げることができなかった子供の頃とそっくりでした。

 

暗くて、理不尽に押さえつけられるだけで、閉じ込められていて、人に無力さ思い知らせるような、その環境が…。

 

それに対処するために、感情を殺しました。

何も感じないように。

 

切り抜けることは出来ましたが、何かのスイッチを押してしまいました。」

 

 

「それで、馴染みがある、って言ったのね。」

 

「はい。

私は、信仰を持ったときに、虚しさが消えました。

だから、平安があることだけが、信仰の確信でした。しかし、やっとのことで、その教会を離れた時、同じ虚しさが襲ってきました。

それは、私にとって恐怖そのものでした。

平安すら、無くなった。信仰の土台としていたものが。」

 

「教会ではどうやって働いていたの?」

 

「メッセージとか、出来ることは頑張ろうと思って。

でも、献金袋を大量に作って、がっかりした顔をする信徒さんに渡すのは辛いことでした。

今でも、思い出すんです。

その…彼らの見つめている目が。講壇から見ると、沢山の顔が見えるでしょ、その目が何かを訴えかけているようで、必死で。

 

良いことをしているのか、悪いことをしているのか、私には分からなくなって、

神に仕えているのか、教会に仕えているのか、人に仕えれば良いのか、分からなくなって…。

 

罪悪感を感じていました。

彼らに対して。何も出来ない…。

私はだめだと思って、私はふさわしくないと…。」

 

「わかった、よく理解できたよ、ありがとう。教会がそんな場所であったのなら、今恐怖を感じるのは無理もないことよ。

 

でも、感情はね、回復するようにしたらいいわ。否定的な感情も含めてね。」

 

「否定的なものも含めて?」

 

「そう、怒りとか、悲しみとか、それも含めて全て。」

 

「それも、いいんですか?」

 

「そう、心に感じるの。今自分は何を考えているか、反応しているか、ってね。」