スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング手法6 逃走
「えーっと…生まれる前からですね。」
「そう…続けて。」
「アルコール中毒の家庭で育った子供は、感情を消します。
感情を持つことは、辛いことなんです。
何か約束しても、果たされることはありません。
なにか約束して、楽しみにしても、次の日には忘れます。
ある日は機嫌が良くても、次の時には怒られます。
何も一貫性はありません。…だから、何も感じない方が楽なんです。
喜びもしないし、悲しみもしない。
期待もしない。
皮肉なことに、本来最も親密な関係を持つべき人間関係において、学んだことは、
信用しない、ということでした。」
「お母さんは?」
「家事が嫌いで、家にはほとんど居ませんでした。」
「まぁ…」
「家の中は滅茶苦茶で、食べるものがなくて…弟と生き延びていました。
…でも、何かその、そういうことは、信仰を持ったら全て忘れていたんです。
本当に、思い出すこともなかったんです。
だから、私はとっくに、過去のことはもう克服したと信じ切っていました。
環境が、そっくりだったんです。その、以前働いていた教会での環境が、私が逃げることができなかった子供の頃とそっくりでした。
暗くて、理不尽に押さえつけられるだけで、閉じ込められていて、人に無力さ思い知らせるような、その環境が…。
それに対処するために、感情を殺しました。
何も感じないように。
切り抜けることは出来ましたが、何かのスイッチを押してしまいました。」
「それで、馴染みがある、って言ったのね。」
「はい。
私は、信仰を持ったときに、虚しさが消えました。
だから、平安があることだけが、信仰の確信でした。しかし、やっとのことで、その教会を離れた時、同じ虚しさが襲ってきました。
それは、私にとって恐怖そのものでした。
平安すら、無くなった。信仰の土台としていたものが。」
「教会ではどうやって働いていたの?」
「メッセージとか、出来ることは頑張ろうと思って。
でも、献金袋を大量に作って、がっかりした顔をする信徒さんに渡すのは辛いことでした。
今でも、思い出すんです。
その…彼らの見つめている目が。講壇から見ると、沢山の顔が見えるでしょ、その目が何かを訴えかけているようで、必死で。
良いことをしているのか、悪いことをしているのか、私には分からなくなって、
神に仕えているのか、教会に仕えているのか、人に仕えれば良いのか、分からなくなって…。
罪悪感を感じていました。
彼らに対して。何も出来ない…。
私はだめだと思って、私はふさわしくないと…。」
「わかった、よく理解できたよ、ありがとう。教会がそんな場所であったのなら、今恐怖を感じるのは無理もないことよ。
でも、感情はね、回復するようにしたらいいわ。否定的な感情も含めてね。」
「否定的なものも含めて?」
「そう、怒りとか、悲しみとか、それも含めて全て。」
「それも、いいんですか?」
「そう、心に感じるの。今自分は何を考えているか、反応しているか、ってね。」