スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング手法15 最終話 他者の召命に温められる

かくして、約2年に渡る魂の放浪を経て、やっと帰宅。

 

学校が始まってから1ヶ月ほどの間の出来事でした。

去年は、祈っても何しても、全く進歩なしで本当に辛かった。

 

この後、1ヶ月程整理がつかないまま、忙しさにかまけていました。

 

何か語りかけられているような気がするも、無視した結果、10月中旬の頭痛事件

以前から考えていた毎日更新にして、夜3時就寝生活を続けるも、なぜか元気でいる不思議。

 

これが、私が今皆様に出来る奉仕なのだと思いました。

 

教会を離れて、こちらに来ても、ずっと分からなかったんです。

神さまは、帰れと言うが、私には任されている教会も、羊も居ない。

一体、召命とは、今の状態で私が仕えるとは、何なのか…。

一体どこに帰れと行っているのか。

 

一体…自分は誰なのか、何なのか、今の歳になって考えるなんて思いもしませんでした。

 

20歳の頃から自分を形成していたものから、環境的にも思考の上でも離れたので…そう、私にとっては、召命は教団でもらう任命と重なっていましたが、それがなくなったとたんに、分からなくなったんですね。それで任期が終わると同時に、何か、どこかに飛び出してしまったようなんですね。

 

今、こちらで潤沢に霊的な恵みを与えられて、新しい道が見えるようになってきました。

 

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今回のリトリートでお世話になった、BIOLAの研修施設、「HILLTOP」について、少しお話して、このリトリートシリーズを終わりたいと思います。

 

リトリートの話の内容は、どのようにしてスピリチュアル・フォーメーションを基盤にした霊的ケアが行われるか、という内容が中心でしたが、裏にはそれを可能にしている沢山の人の奉仕や祈り、犠牲があります。

 

Hilltopは研修施設ですが、もともとBIOLAの教授の先生の有志が、霊的なケアのための施設が欲しい、というビジョンを与えられて、取り組みが始まりました。

資金的な大きな問題や、色々な課題を乗り越えてようやく完成するも、山火事に巻き込まれて返済も終わらない内に一度焼失。

 

大変な失望を味わったそうですが、そこから一念発起して、再出発。今のHilltopが再建されたというわけです。

 

普段施設を住み込みで管理しているのは、ドクターたち。博士たちですね。

リトリートが行われる度に、奉仕に来るのは、普段学校で教鞭をとっている、教授たちなのです。

 

何か、見た顔の人がキッチンに居るな、と思ったら、ドクターが2人で料理してました。

一人は女性の方です。

もう一人は、建物の外にあるキャンピングカーに泊まり込んで、普段施設を管理しています。

 

料理もファーストフードや、冷凍食品など、出しません。本当にアメリカの家庭料理です。初めて、アメリカの食事が美味しいと思えた所でした(どういう意味でしょうね)。

 

建物自体が、そこに流れている精神自体が、彼らのミッションであり、召命なんですね。

そこにいるだけで、仕えてもらっているというのが、すごく分かるんです。

 

他の人の召命に温めてもらってるんだな、って思いました。

食事に、快適さに、美しさに、愛情に、神さまがその人に与えられたミッションの中に温めてもらってるって。他者の召命を通して、力を与えられているんだって。

 

Hilltopに限りません。大学全体が、そのようなミッションを持っており、一言で表すと、「互いに仕える」ということなんです。

 

教授が、職員が学生に仕える、学生が互いに仕える、地域に仕える、そういう姿勢を見て、自分が仕えてもらうことによって、自分もその姿勢を身につけていく。

 

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私の課題は、おそらくRelationship、繋がりを学ぶということです。

非常に関係を大事にする文化なのだなということが分かります。神学的な特徴からしても。

ここ5年間、もしかしたらお別れかもしれない、という気持ちで人間関係を考えてきました。

少しずつ、消え去るように、遠くに居ました。

でも、今は、繋がりに励まされて、また新しく歩き出そうとしています。

お別れかもしれない、という不安から、再びつながっていける、と思う気持ちはとても違うものですね。

だから、私も今出来ることを通して仕えていこうと思うんです。

私は、私の弱さによって、人に仕えることが出来ます。

人よりも迷い、悩むので(しかも長期に渡り)、暗闇の底で私は魂に出会うことが出来ます。

往生際が悪いので、模範のレベルを下げることにも成功しています(何それ)。

諦めないので、何か違うものを、皆様と一緒に発見する事ができます。

 

私は進みます。そして、試行錯誤を発信します。

それが、今の私にとっての召命だと思うんです。

温めてもらっている恵みを、共有していく。

どこかに何かがいるという恵みを、一緒に歩いて行く。