私が復帰するために

月に一回、Talbotの学生のための無料ランチがあります。
タダ飯喰らいに行きます。食料大事であります。
今日は一人の教授が、こんどTalbotで責任ある立場になるそうで、スピーチをしていました。
先日の大統領選の後も、学長から教授やスタッフに、これからのアメリカのために、祈ろう、とメールがあったそうですが、本当に祈りによって、の学校です。
学生、スタッフたちが立って、スピーチを聞いていました。
スピーチが終わると、教授や学生、スタッフが、その教授の先生を取り囲み、教授の上に手をかざしました。
司会の人から、「今から、◯◯教授のために祈ります。主が彼の地位を、彼の奉仕を通して働かれますように。学生の皆さんも、よければ手を上げて祈りに加わって下さい。」
言われたとおりに手を上げました。
見たこともない光景ですが、沢山の学生たちの手が上がっていました。
そして、あれ?と思いました。
自分が手を上げている。
手を上げている。
そう、牧師であること、あったことから逃げ回り、もうその職位にふさわしくないと思って逃げ回った自分が、人に祝福があるように、と手を上げている。
そう、誰かを祝福するためなら、上げることが出来るんだ。
誰かの祝福を願うためになら、働くことが出来るんだ。