Sanctification Gap 5 – Richard Lovelace の論文 4

お疲れ様です。

 

えーとですね、前回からの続きで、ピューリタン運動からの霊的形成のプロセスの紹介なんですが、カルヴァン派の方に移ろうかと思ったんですけど、私がカルヴァン派の教義に詳しくないので、ちょっと説明できないんです。

直訳は出来るんですけど、自分でも意味がわかりません。すごく概略的に説明してあるんです。

実際的に翻訳するとなったら、色々調べないといけないんですが、知らないことは書くことも出来ないので、カルヴァン派の下りは、スキップします。

アメリカの各宗派のリバイバルの歴史や、説教者達の知識を冬休みの間に何とか、学習しておきます(*_*)。

後でウエスレーが出てくるので、そのちょっと前の流れから、文章を見ていきます。

 

****************************

1. “The nineteenth century heirs of the revival tradition modified the Puritan system by allowing easier standards of initial conversion.”

19世紀のリバイバル運動の継承者達は、改心の基準を簡略化することによってピューリタンのシステムを修正した。

 

2. ””I wish I could give you my clinical theology,” said Lyman Beecher. “I have relieved people without number out of the sloughs of high Calvinism.””

「私の神学が、彼らに解放をもたらしてくれることを願うのだが。」と Lyman Beecher(18世紀後半の長老派教会の牧師)は言っている。「私はハイパーカルヴィニズムから脱却してきた人々を数え切れないほど知っている。」と。”

 

3. ”The ultimate simplification, of course, was Finney‘s call for instantaneous commitment and instantaneous conversion, with no waiting period to allow election to set in.”

「究極的に(ピューリタンの改心基準を)単純化した人物は、Finney(長老派教会牧師)で、彼は、教会内での決定を待つ必要のない、瞬時的献身と、瞬時的改心を主張した。」

 

4. ”The nineteenth century revival leaders were like mechanics examining an engine in which the power-train has somehow been attached to the carburetor, the whole of sanctification inserted into conversion.”

「19世紀のリバイバル運動の指導者達はまるで、キャブレターに取り付けられた伝導措置の中にあるエンジンを調べている整備士のようである。聖化全体を改心に結びつけたのである。」

 

 

5. ”Seeing that there was no biblical warrant for this, and over-reacting from hyper-Calvinism into Arminianism, they proceeded to do the right thing for the wrong reasons. ”

「これらの新しいリバイバル運当に対し、聖書的な裏付けがなく、ハイパーカルヴィニズムから、アルミニアニズムへの転換だ、と警告されると、彼ら(リバイバル運動の指導者達)は正しいことを、間違った理由から始めた。」

 

 

6. “They disconnected sanctification from conversion, and made it easy for men to enter the kingdom on the basis of simple faith and initial repentance.”

「彼らは、聖化と改心を切り離し、単純な信仰と、初めの悔い改めによって、天の国に入れると主張したのだ。」

 

7. ”Having unloaded conversion, however, they failed to reinsert sanctification in its proper place in the development of the Christian life, and left the engine with no power-train at all. The divorce from Puritanism was effected, and the sanctification gap was born.」

「改心のプロセスを簡略化したものの、彼らはキリスト者としての生活を発展させる聖化を、正しい位置に戻すことに失敗した。まるで、伝導装置無しのエンジンだけが残ったようなものである。ピューリタニズムとの決別が影響し、かくしてsanctification gap(霊的ギャップ)が生まれた。」

 

*****************

はい、とりあえず、ここまでで…。

ちょっと、一つ一つ見てみますと、

1. “The nineteenth century heirs of the revival tradition modified the Puritan system by allowing easier standards of initial conversion.”

19世紀のリバイバル運動の継承者達は、改心の基準を簡略化することによってピューリタンのシステムを修正した。

 

このあたりが…一つ一つの背景を大体でしか掴んでないので、あまり確かなことを言えないのですが、ピューリタンというと、厳しい道徳基準を持ち、信仰を中心にした共同体を作った、あたかも神権政治のような集団ですから、クリスチャンだと認められるのに、何らかの期間や、社会的な認知が必要だったのではないかと思うのですね。カトリックの、堅信礼だとか、なにかそんなステップの数々が。それをリバイバル運動は、簡略化したと。

 

*****************

 

3. ”The ultimate simplification, of course, was Finney‘s call for instantaneous commitment and instantaneous conversion, with no waiting period to allow election to set in.”

「究極的に(ピューリタンの改心基準を)単純化した人物は、勿論Finneyで、教会内での決定を待つ必要のない、瞬時的献身と、瞬時的改心を主張した。」

 

これは、面白いです。Finnyは長老派教会牧師なので、カルヴァン派の流れです。そして「近代リバイバル運動の父(The Father of Modern Revivalism.)」と呼ばれている、とのこと(Finneyのウィキペディアページ参照。)これは、ぜひもうちょっと調べてみたいです。もう少し情報がほしいです。

しかも「瞬時的献身と、瞬時的改心」、これ聞いたことないですか。ウエスレアンなら、耳慣れてますね。なぜ、この言葉が、ここで出てくるのか、それは、Finneyがウエスレーの影響を受けているからだそうです(明日出てきます)。

 

すると…、もしかして…私が、神学校で勉強した、ウエスレーの神学と、実際の宣教における考え方は、ウエスレー神学と、近代のFinneyの方針が重なり合ったもの…だったのではないかと。

 

もしかして、あの伝道会とか、聖会とか、その、あの、瞬時的な悔い改めが云々とか…が、ウエスレーの時代の後の、リバイバル運動という一種の文化的なムーブメントの…産物だとしたら…。

 

ウエスレーが意図しているものと、いや、更には伝道会的なあのプロセスとクリスチャンになるということが、別に一致するものではないとしたら…。

 

私が考えていたクリスチャンになること、とは一体何なのだろう…。

クリスチャンになるということは、一体何なのだろう。

 

続けます。

 

***************

 

4. ”The nineteenth century revival leaders were like mechanics examining an engine in which the power-train has somehow been attached to the carburetor, the whole of sanctification inserted into conversion.”

「19世紀のリバイバル運動の指導者達はまるで、キャブレターに取り付けられた伝導措置の中にあるエンジンを調べている整備士のようである。聖化全体を改心に結びつけたのである。」

 

何か、機械の例えがあって、余計にわかりにくいんですが、エンジンは着火装置である伝動装置が無いと動きません。聖化という成長プロセスと、悔い改めという転機的な出来事、本来どちらもそれぞれに違う性質があり、きちんと理解が必要なものを、一緒くたに結びつけたということでしょうか。

 

 

***************

5. ”Seeing that there was no biblical warrant for this, and over-reacting from hyper-Calvinism into Arminianism, they proceeded to do the right thing for the wrong reasons. ”

「これらの主張に対し、聖書的な裏付けがなく、ハイパーカルヴィニズムから、アルミニアニズム

への転換だ、と警告されると、彼ら(リバイバル運動の指導者達)は正しいことを、間違った理由からやり始めた。」

 

この辺は、もうちょっと説明が欲しいですねー(;_;)。これだけでは苦しい、が、Lovelaceの本をさっき注文しましたので、情報があったら、また補足します。ハイパーカルヴィニズムは、カルビニズムをもっと強固にしたもののようですから、人間の意思とか努力の要素って、排除しますね。でもアルミニアニズムは、その、人間の改心する心も救いに影響があるだろうと、いう考え方ですから(大まかすぎて申し訳ない)、どうやって教理的な矛盾を合致させたかという軌跡が感じられるようなないような。

 

6. “They disconnected sanctification from conversion, and made it easy for men to enter the kingdom on the basis of simple faith and initial repentance.”

「彼らは、聖化と改心を切り離し、単純な信仰と、初めの悔い改めだけで、天の国に入れると主張した。」

 

6.「単純な信仰と、初めの悔い改めによって、天の国に入れると主張した。」これも面白いです。

こんなメッセージ、聞いたことありますよね。何かとなると、「初めの悔い改めを忘れたのか、初めの信仰から離れていないか、ぬるくなっていないか」みたいな…。いつまで始めに戻るの?って思ってたな。これ…いやほんと、成長に結びつくのかね、この考え方。

 

このメッセージ、一体どこから出てきたんだろう。もしかして、このFinneyの流れだとしたら…。

彼は19世紀後半に亡くなっているから…アメリカのリバイバル運動が一体どういう流れで重なっているのか。日本の戦後のリバイバル運動の指導者や、指導者層の悔い改めのスタイル自体が、とても時代的なものを反映したものだとしたら…。

20世紀前半のアメリカのリバイバル運動の傾向が気になります。

**************

 

7. ”Having unloaded conversion, however, they failed to reinsert sanctification in its proper place in the development of the Christian life, and left the engine with no power-train at all. The divorce from Puritanism was effected, and the sanctification gap was born.」

「改心のプロセスを簡略化したものの、彼らはキリスト者としての生活を発展させる聖化を、正しい位置に戻すことに失敗した。まるで、伝動装置無しのエンジンだけが残ったようなものである。ピューリタニズムとの決別が影響し、かくしてsanctification gap(霊的ギャップ)が生まれた。」

 

改心し、信仰には立った。しかし、聖霊という燃料と、キリスト者の人格というエンジンを結ぶ、伝動装置(聖化へのプロセス)が、抜け落ちて決まった。

そして、信じていることに、聖霊の実が伴わない、霊的ギャップが生まれた…。

霊的成長を伴わない霊性、もしくは、

いつも自分の霊的な不足感に悩まされる現象が生まれた。