Sanctification Gap 10 – 霊的ギャップへの反応

お疲れ様です。

今日無事に、教会で久しぶりの奉仕を終えることが出来ました。

証しがメインですけれども、働く場を与えて頂けて、本当に嬉しかったです。

それでは、Lovelaceの論文を終えて、次にPorter(Talbotの教授)の論文に入ります。

…と思ったのですが、確認してみたら、今日の部分に関するPorterの論文は授業で渡されてない。レジメだけでした。

 今度教授に会うと思うので、元の論文はどこにあるのか聞いてみます。

授業で理解した範囲ですが、これもとても重要な視点になると思います。

Sanctification Gapを取り上げた理由でもあります。

それは、私達は、信仰者はどのようにして「霊的ギャップ」を埋めようとするか、分類されているからです。

 

■ 理想の霊的な状態、また、霊的な飢え乾きを感じた時に、現れる反応の種類 (Porterの論文から)

1. 欺き(自分の霊的ギャップを隠そうとする、まるでギャップなど無いように振る舞う)

   — Pretense (hiding and pretending)

2. 絶望 — Despair

3. 個人的解決 — Programmatic and personal solutions

4. モラル形成 — Moral formation

5. 宣教活動 — Ministry activism

 

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補足していきますと、

 

1. 欺き(自分の霊的ギャップを隠そうとする、まるでギャップなど無いように振る舞う)– Pretense (hiding and pretending)

霊的ギャップ、自分に霊性が伴っていない、理想との間に隔たりがある、また心の深い所で霊的な孤独や苦しみを感じていながら、それを自分自身で認めようとしないこと。自分を正当化してみたり、強く振る舞ったりするが、反動で、いよいよ理想とのギャップが大きくなり、感情的な反応を示す場合がある(霊的な不調を押さえつけている状態なので)。精神的、肉体的不調を誘発する場合がある。

2. 絶望 — Despair

霊的な飢え乾き、理想と現実のギャップに失望して、信仰から離れてしまう。

3. 個人的解決 — Programmatic and personal solutions

仕事とか、家庭とか、別の思考や解決策に走ってみるとか、信仰の欠乏感を紛らわすために、別のことに集中しようとする。

4. モラル形成 — Moral formation

信仰者が一番陥りやすい傾向性(後日、”Moral Temptation”で扱います)。”クリスチャンらしさ”、”信仰者らしさ”を身につけることによって、きよさに届こうとする。パリサイ主義的な思考回路。

5. 宣教活動 — Ministry activism

これも、4番と同じくらい陥りやすい傾向性。宣教活動、伝道活動を忙しくすることで、霊的ギャップを埋めようとする。教会の伝道活動の閉塞感を、活動を多くすることで埋めようとするメンタリティのたぐいは、この様な考え方の類。

 

原文を参考にできたらいいのですが、とりあえず、伝えたいテーマはこういう感じのことです。

なるほど、こうやって整理されると、個人、教会単位で、霊性をどのように考えるのか、どのようにアプローチしているのか、ということがとても明確に見えてきます。

逆に、これ以外での霊性へのアプローチがあるというのか?と聞きたくなります。ありますので、明日からCoeの論文に移ります。

因みに、Lovelaceはこれまでの歴史に学ぶこと、カトリックの霊的修養のノウハウなどを見直して取り入れるべきだと言っていましたね。

 

よく、日本の教会で見たのは、「活動」を減らせなくなった教会です。むしろ増やそうとします。

神学院がそうでした。

教会の教勢が危機的な時ほど、活動にしがみつく傾向があります。

そして、実がない指導者ほど、活動を増やすことで、自分の霊的な不安を紛らわせようとします。

忙しくしている限り、人々の目線は奉仕に行き、活動が一時的に霊的な飢え乾きを癒やします。何をしていいのかわからないけれど、何かはしているので、まさか自分の霊性の指導の方向性が間違っているとは思わない。

でも、近いうちに結局疲弊してくる。満たされない、霊的な渇望を抱えながら、活動だけがエンドレスに続くので、霊的に燃え尽きてしまい人が去っていく。

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ところで、霊的ギャップを自分で知覚した場合、個人単位で信仰者がやりがちなのは、1番かと思います。

1. 欺き(自分の霊的ギャップを隠そうとする、まるでギャップなど無いように振る舞う)– Pretense (hiding and pretending)

深い所にある、怒りや悲しみなど、自分の傷の痛みを認めない場合、歪(いびつ)な人格、霊性が形成されます。

教会でも、授業でも、霊性の教育の中で、ネガティブな感情を出さないような教え方をすると、ナウエンが書いた「怒れる聖徒」という現象が起きます。

クリスチャンらしくしている、と本人は思っていますが、心のなかには怒りが蓄積され、ちょっとした刺激で他人を責めたりします。本人は隠しているつもりでも、霊的な実を全然結ばないので、周りは変だなぁと気づきます。

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さて、眠たくなりました。明日からのCoeの論文が楽しみです。

お休みなさい。